「暖簾干し」と「簾干し」 6月3日(木)。岩美町役場を訪問する予定でしたが、役場の担当者がいらっしゃらないとのお返事があり、浦富に近い田後(たじり)港を訪問しました。先日、ジオウォークが開催された漁村です。道中、ぼくとM君を乗せたI先輩の車が他の車とはぐれてしまい、ぼくらは先に田後に着いていました。ところが、待てども待てども後続は現れず・・・そのころ教授たちは隣の網代(あじろ)港に寄って、スルメの干し方について地元住民の方へヒアリングしていたのです。聞くところによりますと、網代のスルメの干し方は「暖簾(のれん)干し」と言い、漁であがったイカを暖簾のように吊るして一日干すそうです。その後、田後で教授たちと合流して、早速、集落と港の観察をしながら、近くにおられた住民の方々に、まずは、網代で話題になった「スルメ干し」についてヒアリングしました。おじいさん夫婦にイカ干しの場所を聞いたところ、残念ながら今日はイカ漁に船が出ていないので干していないとのこと・・・
実際にイカを干すときは、前夜のイカ漁を終えた早朝3時ころから、天気予報などを小まめにチェックしながら一日干すそうです。一夜干しの状況を見れなかったのは残念だけど、話を聞いてかなり得した気分になりました。

さて、おじいさん夫婦の話では網代と田後のスルメの干し方が違うそうです。網代の「暖簾干し」に対して、田後では、ベンチ状の台の上に竹編の簾(すだれ)を並べて勾配を付けて置き、そこに捕ってきたイカを並べます。竹編簾はイカを割って干しているあいだ、イカから水分が逃げないようにする効果があるそうです。また、天日干しは漁から帰った直後にすぐおこないます。「網代と田後の一夜干しでは、どちらが美味しいですか?」と訊ねてみたところ、「田後の方がスルメは美味しい」という記事が最近新聞に出たばかりだそうです。「水分」を残す田尻のスルメには「旨み」も残るという記事らしく、大学に帰ってさっそく調べてみないといけません。事であった書いてあったそうです。新聞に書いてあった話なので、スルメの干し方が違うだけで美味しさが変わるというのは食べてみないと分からないかも知れません。ちなみに、網代でも味の違いを質問をしたのですが、答えは「網代と田後で同じ」だったとのことです。個人的に食べ比べてみたいと思っていたのですが、教授に頼んで、今後、味の違いを分析しようという事になりました。

↑網代の暖簾干し ↑田後の干し場(この日は干していなかった)

その後、集落を見渡せる「日和山の石灯台」まで上がりました。とても見晴らしのよいところですが、逆に海上の船からは位置や方位を示す指標となる高台のようです。このような地形指標のことを「山」と漁民が呼んで、船の位置を定める方法を「山だて」とか「山を立てる」ということを先週、教授に教えていただきました。羅針盤も磁石もGPSもない時代に、海面における自分の船の位置をどう読み取ったのかは今回のプロ研の大きな課題です。先週から地形の細かい名称を調べなければならない、と教授に言われています。さて、田後「日和山の石灯台」の由来については、案内図(↑右)に以下のように記されています。
鳥取藩は陸上、田河内等から治められる運上米(税金)を、岩本にある
藩の米倉に、帆前船を使って、眼下に見おろせるこの水路で運んでいま
した。そのための目印として建立されたものです。
台座に刻まれた世話人で当時の庄屋であった細河屋伝助の名から、
嘉永四年(1851)前後に建てられたものと推定されます。
日和山にあがると、若布を干し終えたおじいさんがいました。石灯籠に刻まれた文字が分からなかったので、訊ねてみたのですが、おじいさんも分からないとのことでした。山から少し下ると、田後神社の境内に入っていきます。教授が代表してお参りをしてくださいました。本プロジェクト研究の成功を祈願されたそうです。ぼくらも教授の期待に応えるために、スルメのように味のある研究発表にしたいと思います。

それから神社の石段を下り、集落の中を練り歩きました。細い小路のまわりに住宅が密集しています。漁村に3階建ての住宅が多いのは、敷地の奥行が短いからだと教授に教わりました。
最後に、次回のプロ研について1・2年で話し合いました。次回は、岩美町役場のかたとの都合があえば、お話を伺いに行くことが決まりました。また、プロ研のある週の火曜日に集まって、情報メディアセンターで「祭り」と「漁業」について、前もって調べることも決めました。教授に報告したところ、長期的な計画を練る必要があるとの指摘を受けたので、しっかり話し合い、発表に向けて完成度の高いレポートを作っていきたいと思います。(環境政策経営学科1年Mr.Y)
- 2010/06/04(金) 12:56:51|
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