野人さん合流! 8月9日(月)。連日暑い日が続いていますが、今日も涼やかな奥の院で発掘作業に取り組みました。昨日と同じく、本日もゼミメンバー総出でしたが、大学企画広報課のYさんが取材に訪れるため、タクオさんはその案内役として午後から合流されました。
10時に現場到着、さっそく作業に取りかかります。まずは、実働作業部隊がB区の表土はぎに取りかかり、その間にエアポートさんが3mグリッドのタグ取り付けを手早くすませます。ちょうどタグの取り付けが終わる頃、ご住職へ挨拶に行った轟くんが、趣味で摩尼山を踏査しているTさんという方と一緒に立岩(山頂)から下りてきました。この方は現在調査しているB区周辺を、稲葉民談記の記述から「門」であると推測しているそうです。しかし、敷地が広すぎたり、段違いの礎石も出ているため、門とは限らないでしょう。11時頃に先生が到着すると、入れ替わるようにTさんは下山していきました。
さて、エアポートさんと轟くんは昭和盗掘大土坑?が中心にあるA区の表土はぎに着手。作業部隊はL字トレンチBの遺構検出のための清掃とB区の表土はぎをおこないました。私はきっかわさんとL字トレンチBの清掃をしていましたが、木や竹の根っこが次から次へと出てきて、なかなかうまく進みません。それでも、昼休憩前にはなんとかまだらになっているタタキの範囲が先生の手により検出され、一安心。他の場所でも基壇と思われるタタキの層が確認されたり、明治のものと思われる茶碗が出てきたり、着々と作業は進みます。

昼休憩中には、タクオさんがYさんをつれて合流。と、その後ろから見覚えのあるシルエットが・・・ホカノさん登場です! 差し入れにお茶も1箱持ってきていただきました、
ありがとうございます!!

午後の作業開始後、先生はYさんとホカノさんに現場や摩尼山について説明し、その後きっかわさんも連れて岩陰・岩窟仏堂から立岩まで案内しました。3人とも立岩まで行くのは初めてで、そこに至る急傾斜の道に苦労したそうです(先生はすいすい登っていきました)。Yさんはそのまま山麓の境内に下りていき、ホカノさんときっかわさんは現場に再合流。作業に精を出します。A区では、引き続きエアポートさんと轟くん、それにホカノさんが加わり、3人で表土はぎ・遺構検出のための清掃などを続け、同時にエアポートさんと轟くんは遺物取り上げや遺構カードの記入をおこなっていきます。B区では、私を含め作業部隊が総出で五輪塔や礎石が検出された周辺を重点的に掘り下げ、タタキと土坑との境界線を検出するため表土はぎなどをおこないました。A区では、昭和盗掘の大土坑と思っていた遺構の表面にタタキの土層が貼り付けられていることが確認されました。上のほうの三和土をを「茶灰土」、下のほうの三和土を「白茶灰土」と命名しました。この三和土は建物が竣工した時点でのものですから、この凹んだ遺構は昭和の盗掘土坑ではなく、建物と一体になっていた掘りこみと考えざるをえません。まだ底には「暗灰土」の層が残っており、そこから出る遺物が期待されます。

しばらくすると、鳥取市文化財課のSさんが現場に到着。調査の進展にともない、書類上の問題が若干生じたため、その対処法を教授と相談されていました。Sさんは、1週間足らずで遺構検出がここまで進んだことをとても驚かれていました。
その間も作業は進み、B区の「長形大土坑」の範囲がだいたいわかるようになり、その範囲を5センチばかり掘り下げることになりました。そうすると、たくさんの五輪塔が次から次へ出てきます。踏んでしまうと祟られそうだと畏れながら、作業に熱中すると時々踏んでしまっていたり・・・そのくらい大量の五輪塔が投棄されている長形大土坑でした。

気づけば16時半を過ぎ、掻き出した土を運び出して、遺物取り上げと遺構カード記入が終わると撤収になりました。
本日の検出物は以下の通りです。
・A区のA04、B04では、上層基壇と下層基壇を確認。
・B区のE01、E02では、タタキと長形土坑を確認。
また、廃棄された大量の五輪塔を確認。
・そのほか、銭貨やさびた鉄、通い徳利、土器、昭和の櫛に
ラベル付けと撮影をおこない、これらを取り上げ。
さらに、撤収作業中にはノビタさんも立岩の方から下りてきて合流し、今日は千客万来でした。いろんな方が注目しているのだと感じ、また、夏休みを利用して帰ってこられるOBの方と一緒に作業ができるのは幸せだなと感じた一日でした。(部長)
- 2010/08/11(水) 00:47:03|
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