
東近江市永源寺の相原熊原遺跡を見学したのち、某史跡で建設中のガイダンス施設を視察した。木造の覆屋兼ガイダンス施設である。じつは、このガイダンス施設、史跡のなかにある。史跡の内部には恒常的な施設は建てられない。「だから、遺構展示の覆屋(おおいや)を兼ねていると言えばよい」と主張したのは、ほかならぬ私である。しかし、覆屋のなかに展示してあるのは、濠の出土状況を示すレプリカであった。文化庁が遺構そのものの露出展示を許可しなかったのである。さもありなん・・・窯などの乾燥した遺構ならいざしらず、湿っぽい濠を露出展示するとなると、極端な遺構の劣化を招く。カビや苔が繁殖し始めるのである。高松塚やキトラで辛酸を舐めた文化庁としては、同じ徹を踏めないという警戒が強かったのだろう。このレプリカと建物の関係で苦労したらしい。遺構の上に保護層を設けてレプリカを被せるため、建物の床面を当初設計の段階から底上げしなければならなかったのである。そういう苦労はあったにせよ、結果として史跡地内にガイダンス施設の建設が許可されたわけだから、私の提唱した戦略は成功したと言ってよいかもしれない。

この建物の計画が始まったのは一年前のこと。以来、一度も現場を訪れていない。木造のガイダンス施設だけに、もっと積極的に指導しなければいけなかったのだが、諸般の事情があり、ほったらかしになってしまっていた。それは、設計者を信頼していた裏返しでもある。設計者はM事務所のM社長だ。じっさいに竣工間際の建築をみて、かれの苦労がよくわかったが、やはりもっと厳しく指導すべきだったと思うところがある。守山のノビタ氏は考古学専攻であるにも拘わらず、すなわち建築の専門家ではないにも拘わらず、「良い建築です」と自負していたが、わたしの評価はそれほど高くない。大学の制度に倣って、A・B・C・F評価を適用するならば、残念ながら、判定はAではなく、Bである。
ライオンは自分の子どもを谷底に突き落とすと申します。これから厳しいこと書くので、自らの手ではい上がってきなさいよ。


1)集成材を多用した軸組は大スパンを確保するための工夫であろうが、どうにも安っぽくみえる。張弦梁はともかく、角柱まで集成材にするのはいかがなものか。
2)和小屋がありきたりでひ弱にみえる。あの程度の和小屋なら天井を張ってみえなくしたほうがよいのではないか。伝統構法を採用せよ、と言いたいわけではない。立体的な洋小屋(木造トラス)のほうがまだましではなかったか。いずれにしても、質の高い木造建築は構造の力強さが美しさに直結している。それが感じられないのが残念だった。
3)金具を安易に使いすぎている。金具を一つも使うな、とは言わない。しかし、まず適切な継手仕口で部材を接合し、隠れた部分を金具で補強するように配慮すべきだった。
4)外観も突出した芸術性を感じさせない。
5)レプリカのまわりに絨毯をはり、濠の位置を外構の遺構表現にあわせてこげ茶色にしているが、一般来場者はそれを濠の表現とはみなさないだろう。通常のフロアにアクリル板を張り、「水」を意識させるプレゼンテーションをしたほうが良かった。それで「濠」を意識できるし、空間に涼やかさがもたらされる。
まぁ、今日はこんなところにしておきましょうか。
それにしても、みんな疲れていますね。「奥の院」での療養が必要だと思いましたよ。

- 2010/08/17(火) 00:00:47|
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