死のCトレンチ -遺構の大掃除 8月20日(金)。8月も残すところあと10日となりました。この日は翌日の写真撮影に備えて、遺構面の大掃除です。現場に向かう前に麓の「門脇茶屋」さんから脚立とはしごを借りました。それらを、石の洗浄用水道水を2リットルのペットボトル12本(合計で24リットル=24キロ)とともに担いで現場に登りました。なにしろ現場は水不足ですから。
掃除はA区・C区から2隊に分かれて始めました。三和土(タタキ)が検出されているところは箒で掃いていき、細かな砂や落ち葉を取り除きます。また、タタキと周辺の土が区別できていないところは両者の境界線をしっかり検出し、遺構にめりはりをつけていきます。
しばらく掃除に徹していたのですが、A区作業チームは掃除の途中に礎石(の抜き取り穴?)を2つも発見しました。1つは抜き取り穴には炭がたくさん混じっています。もう1つの礎石はベルトに近い位置でチャックさんが発見されました。比較的大きな抜き取り穴のなかに礎石がやや傾いて残っています。二つの礎石抜き取り穴とも、タタキのわずかに外側からみつかった点は今後の遺構検出にヒントを与えるものかもしれません。発見された2つの礎石の関係から柱間1間が3mに復元されることがわかってきましたが、さらにデータの積み重ねが必要です。その他、遺物として、土器片や古銭が新たに出土しました。
一方、C区を清掃するチームにとって、やはりこの日も日差しで気温は高く、「死のCトレンチ」と化してっしまいました。C区ではまだタタキと土抗の境界線が識別できていないところがあり、その作業も清掃と平行しておこないました。少し掘り下げながら様子をみてみると、柱穴のようなものが検出されました。そこを少し掘り下げると前回、長形大土抗で検出された、凝灰岩の下層遺構の一部が見えてきましたが、上層の遺構の実測等の記録が済んでいないため、それ以上掘り下げずに掃除に移りました。

午後からはA区・C区の残りの掃除をおこなってからB区・D区の掃除に移るつもりでしたが、A区・C区の掃除が思ったより長引き、B区・D区に移ったときには午後3時近くなっていました。先にA区の作業が終了し、C区に少し人数を残して、とりあえず、しばらく手をつけていなかったB区の掃除に入ることにしました。B区・C区とも斜面の部分があるため、他のところより掘り下げており、縄張りのエッジとなる部分を綺麗にしなくてはなりません。長形大土抗の部分は五輪塔が大量に検出されたため、細かな作業になり、少々てこずりましたが何とか写真を撮れる状態になりました。D区は前日にどんべえさんと部長さんが綺麗にしてくれていたので、簡単に箒で掃く程度で終了しました。B区・D区のトレンチを掃除し始めると同時に、礎石の表面をスポンジで洗い、汚れを取る作業を先生がやってくださいました。
遺構の掃除と併行してナオキさんが現場に生えている灌木を伐採していきました。トレンチ内には木が何本か生えていますが、写真撮影において、特に障害となりそうな3本を伐採し、さらに平坦地から岩窟を見上げたときに障害になる大きな木の枝も枝打ちしていきました。この作業を進めていく途中、先生が脚立から落ちそうになって・・・だれか「惜しかった」なんて声をだしていたりして・・・灌木の伐採と大木の枝打ちが終わると、現場の見晴らしがずいぶん良くなり、写真撮影に問題ない状態になりました。しかし木陰がなくなり、少し暑くなってしまったかもしれません。
さて次回はいよいよ写真撮影です。現場はずいぶん綺麗になりましたが、心配なのは天気ですね。いつものように日差し強いいと遺構面がまだらにみえるので、曇ってくれることを期待しています。日陰ができないならば、撮影のサポートをしながら自分たちで影をつける作業もしなければなりませんね。
そういえば・・・末筆ながら、17日より20日までの間、暑い中発掘作業をお手伝いいただいたOBのチャックさん、ありがとうございました。(轟)

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- 2010/08/22(日) 22:04:57|
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