いまごろでてきた上層の礎石 8月29日(日)。遺構の掘り下げを引き続きおこないました。午前は西側の崖に接するC区とB区に集中して作業を進めました。昨日武蔵くんが担当していたC区には轟が加わり、しばらく凝灰岩の高さまで掘り進めていくと、凝灰岩面よりも高い位置で平たい礎石が検出されました。石の形状から上層の礎石であることは間違いなく、以後は上層礎石の面の高さで掘り下げをとめました。西側の崖と接する部分で、わたしたちがタタキと思っていた表面30㎝ばかりの堆積層は、上層建物が廃絶後に上層基壇を覆うように盛られた土だったのです。おそらく崖面からの土砂流出を防ぐための盛土だったのでしょう。ということは、昨日C区で取り上げた土器の土層は「タタキ」として取り上げましたが、ひょっとすると、上層基壇を覆う「盛土」に包含されるものだったのかもしれません。要注意です。盛土の下からでてきた礎石は17日に検出された礎石とレベルが近く、方位も東西方向で一致し、さらにその向こうの礎石とも方位を揃えています。この結果、東西方向の柱間の復元が可能になりました。いまのところ、柱間は7尺前後と推定しています。
B区の長形大土抗も掘り下げましたが、凝灰岩は土抗の底全体にひろがっており、崖面の下にくい込んでいます。C区の武蔵トレンチの凝灰岩石敷が崖面の直前でとぎれ、崖のエッジと平行に並んでいるのとは対照的な状況が確認されました。さらに午後には、C区掘り下げトレンチの南端から平たい石がさらに2つ検出されました。C区西端ではすでに基壇もしくは亀腹の縁石のように並ぶ石列を確認していますが、その延長線上に並んでいます。
↑C区上層礎石 ↑C区 縁石風の石列

↑B区長形大土抗の底にひろがる凝灰岩石敷

A区L字トレンチでは、昨日下層凝灰岩が発見された地点から東側をトレンチ幅の北半分(50㎝)だけ掘り下げることになりました。南半分の礎石抜き取り風の穴が並んでいるので、その土層観察をしなければならないからです。ここを担当するどんべえさんがたくさん出てくる木の根に苦戦しながら、掘り進めていくと、これまでより大きな土器片を発見(↑)、その近くでは薄目の須恵器もみつかりました。発掘開始当初に須恵器が連続して発見された場所に近く、さらさらの黄色めの土にそれらの土器は含まれています。このあたりになると、上層タタキの面がとぎれており、土層と遺物の関係は要注意です。
さて、武蔵くんがC区深掘りトレンチの途中で発見した礎石は、先生に衝撃を与えたようです。これまで上層タタキの上面と考えていた現在の遺構検出面がまだ「盛土」の可能性があるからです。もともと上層については礎石が歯抜けの状態であり、土の下げ方が足りないのではないか、という不安が拭えないのです。とはいえ、調査区全体を再び掘りさげるのは危険であり、労力もかかります。そこで、A区の東壁・南壁、C区の東壁・北壁の内側に幅1mのトレンチを設定し、縄張りを終えました。今後、この部分を試掘し、正確な上層遺構の検出面を読み取ろうと思います。
もうひとつの加工段 この日発掘区にブルーシートを被せたあと、一段下にある加工段(斜面を整形してできた平坦面)を視察しました。この加工段の幅は狭い(長さ17m×幅4m)ですが、そこに礎石風の石が一列に並んでいます。この加工段こそ、いま検出している建物跡の東端になるものではないかと想像されます。懸造の建物がここまで伸びていたのでしょう。現段階では発掘調査はもちろんできませんが、急ぎ地形測量しようということになりました。秋に小規模のトレンチを試掘することになるかもしれません。(轟)
- 2010/09/01(水) 00:00:10|
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