下層凝灰岩は岩盤の整形か!? 8月31日(火)。昨日は急な夕立に襲われましたが、今日は一転して良いお天気。そして、現場にあがると、昨日の雨で地面がしっとりと水分を蓄えていました。また、必要なところだけブルーシートをかけていたので、まるでプールのような水たまりができていました。そのため今日の作業は、ブルーシートを一部はずして、その雨水をA区のすり鉢状土坑にためるところから始まりました。そして、雨のせいで昨日取り上げられなかった遺物を、レベルで高さを確認しながら取り上げていきました。
その後、A区南壁トレンチ、同L字トレンチ東側、D区北・東壁トレンチを、それぞれ5~10センチ掘り下げる作業に移行しました。昨日の続きです。私はD区を担当しましたが、木が集中しているところだったため、根っこと悪戦苦闘しながらの掘り下げになりました。縦横無尽に地中を走る根っこを避けたり、切ったりしつつ、土を掻いていきました。雨で土がしっとりとしてやわらかいので、普段より掘りやすいのがせめてもの救いでした。すると、昨日同様、A区もD区も少し掘り下げると土器が数点出てきました。崖側で多く出土しているのがこの現場の特徴なのかな、と思いました。
先生は下層の凝灰岩を「基壇」ではなく、「岩盤」を平らに掘削・整形されたものだろうと推測されるようになっています。摩尼山では地皮が薄く、地皮の内側にある凝灰岩の岩盤が今でも立岩・岩窟・岩陰として露出しているのですが、他の部分でも薄い土の下に凝灰岩の岩盤があったことが想像されます。C区の少し上の崖に露出している凝灰岩はその岩盤の元の状態であると思われます。その岩盤を基礎とする斜面を整形して加工段(平坦地)をつくると、上側の半分では岩盤が平らになって露出しますが、下側半分では斜めの岩盤に地層を積み上げる必要があります。岩盤は地山(無遺物層)でもあるので遺物は出ませんが、下側の地層、すなわち整地層や基壇土からは遺物がでるのです。こう理解すると、下の崖側に遺物が集中する点が説明できるでしょう。問題は、整形した岩盤が建物の基礎になるかどうかです。これについては、柱の下端を差し込むホゾ穴が岩盤上で一ヶ所確認されているので、やはり建物が建っていた可能性が高いでしょう。これについては、三仏寺投入堂の基礎がそうなっています(中国甘粛省での調査でも興味深いデータが得られたようなので、いずれエアポートさんが詳しくレポートしてくださるはずです)。

左:こちらも根っこと格闘のA区 右:D区北側で発見された石

左:道具の整理整頓 右:全面ブルーシートの現場
午後に入ると、D区の北側で石を発見。礎石か!と思われましたが、どうやらトレンチの壁に食い込んでおり、上面も平らではないようです。岩盤の一部かもしれません。A区南壁トレンチでは平石の破片のようなものが発見されました。破片は一つしか出ていませんが、上層のタタキの中から出てきたようです。そんな発見もありつつ時間はあっという間に過ぎ、最後に遺物の取り上げをしました。
嗚呼、8月も晦日を迎えました。9月1日から一週間、先生を含めた3名が中国に出張するため、現場はお休みです。そのため、道具の整理整頓をして、現場全面にブルーシートを被せました。一週間後、いのししなどに現場が荒らされていないことを祈りつつ、作業は終了しました。まだまだ残暑厳しいですが、一週間後にはもう少し残暑も緩んでくれると助かりますね。それでは、中国の旅に気をつけていってらっしゃいませ。(部長)
- 2010/09/09(木) 13:59:15|
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