五輪塔の実測 -空風輪・火輪- 土日は埋文Cがお休み。9月6~7日に引き続き、五輪塔を実測しました。現場から持ち込んだ五輪塔には一石で作られたものと複数の石を組み合わせたものに分かれます。後者は江戸時代あたりの比較的新しい作で、前者は棒五輪ともよばれ室町時代後半ごろ~江戸時代初期の作だそうです。今回実測した空風輪は五輪塔の一番上の部分のものでありますが、正しくは空輪と風輪に分かれ、発見されたものは2つが一体になっています。空風輪は前回実測した水輪よりも複雑な形をしているうえに底面が平らで安定せず、ちゃんと固定しないと傾いた状態で図面化されてしまうため、真っ直ぐ立たせる必要があります。
さらに複雑なのは火輪とよばれる五輪塔の笠の部分です。底面は安定しているのですが変化が非常に多く、正面から見ても奥行があり、見通しを取るのが難しく、測定する場所がズレれば正面から見た図ではなくなってしまします。火輪には空風輪を据え付けるホゾ穴があいており、断面図にはそこもしっかり側点を取り、表現していきます。
これら五輪塔のパーツを一通り実測したことで、遺物の実測の基本は学べたと思います。実測の方法や道具の使い方はさまざまであり、遺物に応じて実測の仕方や道具の使い方を変えていかなくはなりません。一石五輪や土器の実測はさらに難しいようなのですが、基本を守りながら、実測しやすい方法をみつけ、しっかり正面から観察できれば、効率よく実測できるようになるそうです。
さて、本来なら翌日に一旦遺物整理作業を中断し、現場での作業を再開するつもりでしたが、台風9号の影響で、現場に行くことができなくなったため、翌8日も引き続き、県埋文センターで指導を受けました。
銭貨の拓本に向けて 9月8日(水)。朝から台風が日本を直撃しており、埋文Cが発掘調査している現場でも、前日から台風対策をしておられたそうです。
午前から銭貨の拓本を学びました。銭貨の状態が良くないため、まず洗浄しなければなりません。土器や五輪塔は水道水で洗浄したのですが、銭貨はエタノール(アルコール)につけながら洗浄していきます。表面の土をやわらかい筆で慎重に落としていくのですが、細かいところを洗浄する際に擦りすぎると、銭貨に書かれている文字が消えてしまう恐れがあるため、この段階の洗浄では、軽く丁寧に磨くようにします。
この工程が終了したら、さらにしつこい汚れを取り除くため、パウダー洗浄をするのですが、指導していただいた担当者の方がご多忙だったため、洗浄作業を中断し、午後からは再び五輪塔の実測の練習を積んでいきました。

洗浄され、文字がはっきり見えはじめた銭貨はやはりほとんどが「寛永通宝」でしたが、字体がバラバラであったり、重さや薄さが違うものなどさまざまでした。
しかし一枚だけ違うものがありました。銭貨に書かれた4文字は上に「天」、下に「元」、左に「宝」と書かれており、右の文字は潰れて見えませんでしたが、この文字の並びから、「天元通宝」もしくは「天聖元宝」のどちらかであるのは確実です。「天元通宝」は室町時代のものですが、寛永通宝が江戸時代のものなので年代が離れすぎています。「天聖元宝」は文禄(1593~)のもので、古寛永(1636~)よりも僅かに古いものです。
表土上で検出された銭貨の中で現在最も古いものがこの「天聖元宝」か「天元通宝」のどちらかになるのですが、信憑性が高いのは、字体と年代から考えて「天聖元宝」のほうでしょう。これが、表土上から発見されているため、上層基壇の建物の廃絶年代は文禄以降と推定されます。文禄といえば、秀吉の朝鮮出兵のころですが、羽柴秀吉の摩尼寺と関係があるのかどうか? いずれ銭貨の拓本をとり、実測をおこなえば、さらなる真実に迫れるかもしれません。

↑寛永通宝(洗浄後) ↑天聖元宝もしくは天元通宝
翌日から現場の作業に戻るため、埋文Cでの作業はこの日で最後となりました。
短い間でしたが、埋文C所長をはじめ、忙しいなか作業のご指導をしてくださった皆さま、誠にありがとうございました。やり残した作業もまだありますが、どうか引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。(轟)
- 2010/09/12(日) 00:01:05|
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