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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

隴の道-甘粛巡礼(下)

表紙


敦煌紀行

9月5日 天水→敦煌  莫高窟、楡林窟
9月6日 鳴沙山、月牙泉、西晋墓  敦煌→北京

 天水を後にして、敦煌行きの列車(K591次)に乗り込んだのは15時頃だっただろう。食料と啤酒(ビール)をたっぷり買い込んで30時間の「硬臥」での列車旅に備えた。到着は翌朝の9時30分だ。硬臥は、寝台と通路に仕切りがない。日本ならば会話も控えめになるところだが、ここでは日本語の雑談を誰も聞き取れない。持ち込んだ啤酒と、車内販売で買った白酒を嗜みながら、男3人旅の会話は大いに盛り上がった(内容はヒミツ・・・)。消灯時間(22時)になると、読書灯がなく本も読めないため、一行は早々にそれぞれの寝台で横になった。だが、通路では2人の中国人が周りを気にせずに話している。聞き取ることのできない中国語は雑音でしかない。それでも教授は早々と熟睡。会話をかき消すような鼾を奏でていた。私も、異国の地での疲労もあって、寝付くのにそう時間はかからなかった。目覚めると、車窓からは黄色い朝日が差し込んでいた。黄土高原にわずかに見られた低木や山の緑は薄れ、セピア色の世界がひろがっている。砂漠である。敦煌駅に到着すると、車窓からの景色とは裏腹に、乾いた冷たい風が私たちを出迎えた。
 敦煌はシルクロードの分岐点として栄えた砂漠の中のオアシス都市である。「砂漠」と聞くと、荒涼とした景色とともに灼熱の太陽を想像する人もいるだろう。しかし、実際は海抜1000mを越える高地に位置しているため、夏でも気温は25度前後。日本の孟夏と比べれば寒いくらいだ。
 さて、敦煌に来た第一の目的は、言うまでもなく中国3大石窟のひとつ莫高窟だ。ちなみに、3大石窟は雲岡・龍門・敦煌莫高窟で、4大石窟になると、麦積山が含まれる。加えて、甘粛は中国で石窟寺院がもっとも多い
省であり、敦煌周辺にも点在するが、わけても安西県の楡林窟は有名であり、今回はこの秘境の石窟に絞込んで旅程を計画した。駅に着くや、まずは移動の足を確保しなければない。この辺りは、旅を通じて教授にお世話になりっぱなし・・・すぐに、いかつい風貌の女性ドライバーと交渉成立! 一路、莫高窟を目指した。

莫高窟遠景
莫高窟外観 それぞれの窟はアルミ製建具で仕切られ、岩壁は補修されている

 莫高窟は、国家重点文物保護単位であると同時に、世界複合遺産である。開削は前秦の366年とされており、以来、歴代の王朝によって支配されるものの、絶え間なく開削と修復が続いた。現在確認されている石窟の数は700を超えるという。敦煌では天水と違い、見学の際に厳格な規定が定められていた。まず、場内は撮影禁止。そしてガイドの帯同による集団行動。おまけに、内部を参観できる石窟はガイドのさじ加減でセレクトされるという。遺跡を守るためとはいえ、なんとも調査泣かせの決まりである。しかし、われわれの今回の目的は「窟櫓」である。そこで、ガイドに許可を取って団体から離れ、唐代・宋代の窟櫓とその痕跡を集中的に見てまわった。間近で確認することのできた窟櫓は宋代のもので、間口はすべて三間。土台建の大面取り(八角形?)の柱は、頂部に頭貫を通す。組物は三手先で肘木には水繰りがみられた。軒は地円飛角の二重で、隅のみ扇垂木としている。本来ならば、写真をバシャバシャと撮りたいところだが、禁止されている。そこで、場外に出て柵外からの写真撮影を試みた。もちろん望遠レンズが大活躍した。
 莫高窟はこれまで見た石窟に比べ、整備が行き届いていた。それぞれの石窟には、厳重にアルミ製の建具が取り付けられ、岩壁は風化を防ぐためにパックされている。遺跡保護のためには仕方のないところではあるが、やはり人為的な介入がなされてしまうと、その迫力に翳りをもたらす。

莫高窟窟櫓 九層楼 莫高窟痕跡
左:現存する宋代の窟櫓(437窟) 中:莫高窟のシンボル九層楼(96窟) 右:各所に見られる痕跡(206・207窟)



楡林窟遠景
楡林窟遠景 楡林河を挟んで、東西両壁に開削されている

 大方の写真を撮り終えて、莫高窟を出たのは正午過ぎだっただろうか。ここから往復5時間をかけて楡林窟を目指した。その道中は砂漠地帯を時速100km/hで延々と走るものの、寝てもさめても景色が変わらない。改めて、中国本土のスケールの大きさを痛感した。楡林窟に到着すると、他に車が1台もなく、莫高窟とはうってかわって閑散としている。いささか不安を覚えつつ足を運ぶと、そこにはわれわれの想像をはるかに超えた風景がひろがっていた。
 楡林河は標高1700mの砂漠台地を切り裂く渓流である。その両岸の崖の洞窟に唐代以降の各時期の壁画と清代の塑像が残る。石窟の数は河を挟んで東壁に32、西壁に11と多くはないが、周辺の自然と調和して、超越的な空間を創り出している。ただ、ここも莫高窟同様、見学のルールが決められていて、外部からの写真しか撮影できなかった。見学した窟の多くは伏斗式方窟で、内部には五代に描かれたという西方浄土と東方浄瑠璃の理想郷の壁画もあり、建築的な資料として大変興味深いものであった。見学したのは東岸だけで、西岸は整備中とのこと。いずれ、この地も莫高窟のような観光地になってしまうのだろうか。いっそのこと、劣化をおそれずに、塵埃に帰していくのをみるほうがよいのかもしれない・・・諸行は無常であり、形あるものは滅びてゆく・・・市内への帰路、そんなことを思いながら一向に変わることのない砂漠の景色を眺めていた。

楡林窟西 楡林窟東 楡林窟痕跡
左:楡林窟西壁(整備中) 中:楡林窟東壁 右:妻入を思わせる窟櫓の痕跡(03窟)

 翌日(6日)は、昼の便で北京に飛ばなければならない。6時半にウエスタンスタイル?の朝食を済ませ、足早に国家重点風景名称区の鳴沙山、月牙泉と省級文物保護単位の西晋墓を訪れた。タクシーは例の女性ドライバー。実によくしゃべる人だ。思えば、田舎に行くほど、人々のエネルギーは満ち溢れていて、子供たちの笑顔は輝いていた。日本はどうだろう。今でこそ、田舎暮らしという言葉も出回っているものの、実際には過疎や限界集落の問題は解消できていない。今回、農村集落に訪れることはなかったので、中国の僻地の実態をうかがい知る事はできなかったが、調べてみる価値はありそうだ。こういう経験ができたのも、今回の旅のおかげである。そしてわれわれは隴の道に別れを告げ、北京へと飛び立った。(タクオ)

子供1
巷(路地)で遊ぶ子供-天水にて


  1. 2010/09/18(土) 00:45:28|
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