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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅠ)

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凝灰岩盤はどこへ続くのか?

 9月12日(日)。この日の作業は、主に以下のトレンチの深掘りをおこないました。
  A区:L字トレンチ東側
  B区:L字トレンチ北側・西側
  C区:西側トレンチ
  D区:西側台形トレンチ(本日設定)

 先日、L字トレンチの実測とレベル測量が完了したので、この日から各L字トレンチの深掘りを開始しました。現在A区・B区のL字トレンチは、幅1mで表土から25cmほど掘り下げている状態です。今回は、現在検出している面を縦方向に割り、幅を50cmにしてさらに掘り下げました。このように掘り下げ前の遺構を半分残すことによって、遺跡の保護にもなりますし、それが現に存在したことの証拠にもなります。基本的に表土が残っている畦側のトレンチを深掘りし、凝灰岩の岩盤(地山)確認を目標とした作業です。

 A区L字トレンチ東側は、深さが40cmほどとなり、端の方で黄灰土の上に茶褐土がかぶさる形で検出されました。この黄灰土は、下層遺構の凝灰岩を覆っている土で、ところどころに凝灰岩の粒が混ざっているのが特徴です。この日もこのエリアから土器がいくつも出てきました。
 B区L字トレンチ北側は、さらに30cmほど掘り下げましたが、凝灰岩の岩盤らしい石は出てきません(↑)。岩盤を基礎とする斜面を整形して加工段(平坦地)をつくったのであれば、当然、深掘りすれば地山として凝灰岩の岩盤が出てくるはずなのですが・・・。今回深掘りした土層からも土器が出ているので、これが無遺物層の地山とも考えられません。いったい凝灰岩盤はどのようにつながっているのでしょうか。
 試しに先生がB区のL字トレンチ西側の凝灰岩際を掘り下げ、凝灰岩の終わりを追っていかれました(↓)。しかし、いけどもいけども凝灰岩は途切れることなくつながっており、かなり深いとこまでのびています。掘り下げる土もかたく締まっていることから、これらは加工壇を形成する分厚い整地土と考えられます。ということは、B区L字トレンチ北側の掘り下げ部分はまだまだ整地土層ということになりますから、明日以降もう少し下げる必要があるでしょう。果たして岩盤は出るのでしょうか!?

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 C区の西側トレンチは、崖に対して平行に出た凝灰岩の切れ目を追って掘り下げていきました。結果、ここの凝灰岩は途切れておらず、15cm下がって溝状になっていることがわかりました(↑)。畦を挟んで隣り合う長形大土坑の波打つ凝灰岩とは表情がまったく異なります。長形大土坑側の凝灰岩も五輪塔が投棄される前はこのような溝が延びていたのでしょうか(土坑掘削時に破壊されたか?)。この溝の用途は不明ですが、綺麗な段になっているのが特徴的です。また、この溝から土器が3点出てきました。そのうちのひとつは内黒土器と思われます(↓)。崖側(平坦地西側)から出る遺物はとても少ないので、これらは年代を特定する重要な手がかりです。

 この日、D区の西側に台形トレンチを新たに設置しました。D区には礎石らしい石がなく、また他の区画より地面がずいぶんと高いので、礎石が埋まっている可能性があります。そこで、B区にみえる礎石列の延長線上に新たなトレンチを設置し、掘り下げをおこないました。15cmほど下げると、凝灰岩粒混じりの土層が出てきました。しかし、礎石はおろか礎石の抜き取り痕らしい窪みがまったく出てきません。
 当てが外れ、気持ちが焦ります。ここからが正念場!頑張らなくては・・・。(Mr.エアポート)

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  1. 2010/09/20(月) 00:11:05|
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