
2006年9月19日に「
白い出雲」という記事を書いている。田和山遺跡で初めて建設される土屋根竪穴住居の材料検査をおこなってから、開館を間近に控える古代出雲歴史博物館を訪問した記録である。
あれからまる4年が経ち、まるで時計のねじを巻き戻したような行程をすごした。燻蒸で焼けてしまった土屋根の竪穴住居の再建が動き出したからである。午前から熊野大社近くの材木置き場でクリ材をみた。前回の建物よりもやや木柄を太くすることに決めて、さっそく出雲に向かおうとしたのだが、あの地域を走っていると、どうしても、神魂神社(↑)と
八雲立つ風土記の丘を訪れたくなる。
風土記の丘の復元建物(奈良時代)の内部には、ストーブ型のイロリが設けてあった。燻蒸よる火災を避けるためなのか、内部での活用に供するためなのかよくわからないが、まぁ、わたしが口出しすることのできない問題である。


風土記の丘を離れ、一路出雲大社に。
昨年は檜皮をはがす前の状態をゼミ全員でみたが、今年は檜皮をはがした状態が公開されていて、一般客に混じって30分だけ見学させていただいた。昼はいうまでもなく蕎麦をたくり、その後、大社高校を訪問した。そこから平田高校へ向かう。大社高校では出校されていた教員に資料をおわたしできたが、平田高校にはひとっこ一人いない。資料はポストに投函するしかなかった。
平田まで行ったからには、当然のことながら、鰐淵寺が気になり、夕方足をのばした。
鰐淵寺から海沿いに松江に戻れないかとドライブしていると、「十六島」という漁村にでた。道路標識をみると、十六島と書いて「うっぷるい」と読むらしい。まるで北海道ではないか。稚内(わっかない)、女満別(めまんべつ)などの地名はみなアイヌ語を漢字で表現したものである。「うっぷるい」もまたアイヌ語なのか、と思ったが、「うっぷるい」と「十六島」に音声の相関性はない。いまネットで情報を集めたところ、アイヌ語説とともに、韓国語説もあるという。その場合、『出雲国風土記』楯縫郡条に「於豆振埼」という地名が表記されているというから、古朝鮮語が起源ということになる。出雲の場合、国引き神話に代表されるように、朝鮮半島東南部との文化的つながりは当然想定されるべきであり、アイヌ語説よりも古朝鮮語説のほうに説得力があるかもしれない。
異次元の地域というほかない。
- 2010/09/21(火) 00:10:09|
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