すり鉢状土坑から礎石発見!? 9月16日(木)。ついに土層断面の線引きが始まりました。昨晩、先生と協議し、断面実測をおこなう箇所を選んだ後、それぞれ担当する学生を決めました。実測する断面は大きく分けて14箇所で、必要に応じて周辺の土層断面も実測していきます。
さて、まずは断面線引きができるように、各トレンチの下げ切れていない部分をマンジュウで丁寧にかき、壁面を整えていきました。また、この作業と平行して、すり鉢状土坑中央に東西方向のトレンチを設定しました(↑)。発掘当初、この土坑は「昭和の盗掘話」から盗掘土坑とみなしてきましたが、調査序盤、土坑の表土をはぐと底を除く表面全体をタタキが覆っており、底部に黒い土が溜まっていることが判明。どうやら盗掘によるものではなさそうということで、その後は保留にしていましたが、今回トレンチを入れ、断面を確認することで改めてその正体を明らかにしようと試みました。
仮に盗掘土坑であれば、V字状の土坑が平行に連なった土層を切り込むわけですが、実際に掘って断面をみると、土坑の表面をタタキ(第1層)が覆い、第2層、第3層(下層基壇土か)が中央に向かって落ち込んでいることがわかりました。また、土坑底部では第1層から第3層を切り込むように黒い土が溜まっており、その底から安山岩と思われる平坦面を持つ石が出てきました(↓)。これには一同仰天。これが礎石だとすると、ここだけ長い柱が建ちあがって上部構造を支持していたことになります。ただ、下層の礎石なのか、上層の礎石なのかは分かりません。下層の礎石をそのまま上層の礎石に転用した結果、すり鉢状の面ができたのかもしれない、と先生は指摘されました。まだこのトレンチ全体を下げ切れていないので、明日以降この石の周辺を掘り下げれば何かわかるかもしれません。


一方、D区の谷側トレンチは黒灰土をすべて取り除くと、直径80センチほどの窪みがあらわれました。後日、実測とレベル測量をおこない、これも半月状に割って断面をみていきます。また、この日、14・15日と検出したD区北側トレンチの安山岩が面的に広がっているかどうか確認するため、部分的に掘り下げをおこないました(↑)。すると、意外にも安山岩は調査区内にはほとんどのびておらず、すぐに途切れてしまいました。この出土具合からみて、安山岩は調査区外にひろがっている可能性が高まりました。
さて、この日は事件が。エアポートが昨晩先生から受けた指示を勘違いして、最後まで残さなければならない畦を一部掘り下げてしまいました。「どの現場の指導に行っても、畦は最後まで残すよう指示する」方針の先生は、断面図すら書いてない畦の片面が削除されたことにひどく立腹されました。しかし、幸いにも下げたところから平坦面を持つ石がでてきました。掘り下げてしまったのはC区の畦にある上層の礎石周辺で、この下からでてきたわけですが、どうやら隣り合うB区のL字トレンチ南壁から飛び出ている自然石のような石につながると思われます(↓)。急きょ先生がトレンチの断面を精査されると、自然石の周りに据付穴と思われるラインを確認。しかもそのラインは下層遺構の基壇面につながっていることが判明しました。おそらく下層遺構の礎石でしょう。これまで山側の凝灰岩盤でしか下層遺構の建物の痕跡が確認できなかったのですが、ついに礎石を発見したのです。13日の岩盤内ピット発見に次いで、平安時代に建物が建っていた蓋然性がより高いものとなってきました。
今回のことは不幸中の幸いでしたが、失敗は真に受け止めなければなりません。二度とこのようなことが起こらぬよう肝に銘じ、より一層精進しなくては。(Mr.エアポート)
- 2010/09/26(日) 13:09:30|
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