新聞の日曜版と言えば、書評や新刊紹介などの読書欄が付きものだが、17日(日)の日本海新聞(8~9面見開き)の「読書欄」の片隅に、われらが新刊書『
出雲大社の建築考古学』の書評が掲載された。評者は奈良文化財研究所の箱崎室長。少なくとも、あと2紙には紹介等が掲載されることになっているはずだが、とりあえず地元で書評の第1号がでてホッとしている。
なお、『出雲大社の建築考古学』書評の下に『梅棹忠夫 語る』という新刊書も紹介されている。今年7月に90歳で逝去された梅棹忠夫さん(元国立民族学博物館長)は、若かりしころのわたしにとって、アントニオ猪木と並ぶ2大ヒーローだった。自らの読書歴をふりかえるとき、最も多く読んだのは間違いなく司馬遼太郎で、その次が梅棹忠夫かもしれない。とくに好きだった作品は『東南アジア紀行』と『狩猟と遊牧の世界』かな・・・梅棹さんのまわりには多くの優秀な研究者が集まっていて、そのうちとくに突出した4名の人類学者が「梅棹四天王」と呼ばれていた。しかし、結果としてみれば、だれも梅棹忠夫にはおいつけなかった。梅棹二世はついにあらわれなかったのである。
梅棹さんはジャコのような存在だ。ふたりとも独自の高い境地に達していて、だれもがかれらに心酔し、見習おうとするのだが、結局だれも真似できず、梅棹似あるいはジャコ似のガラクタがあちこちに散乱するようになってしまった。この新刊書を読まずとも、梅棹さんの言いたいことぐらい、わたしはよく分かっているつもりでいる。かれの言うことはいちいち正しく、おもしろい。しかし、かれの言うとおりにはできない。凡人に、あんなことができるはずはない。全盛期のジャコ・パストリアスのようにベースを弾くことはできないし、全盛期のニール・ヤングのように弾き語りすることもできない。成熟しきった今のジェフ・ベックを真似しようとしたって、別の音楽になってしまうだけだろう。そういった類の天才たちの能力を素直にみとめながらも、自分にふさわしい表現方法を探すしかないし、結局、人間はそういう途を歩むことになる。

肝心の出雲大社を棚にあげて、面識もほとんどないのに、梅棹さんのことばかり語ってしまった。左の画像をクリックすれば拡大されて、なんとか文字が読めますので、『出雲大社の建築考古学』と『梅棹忠夫 語る』の紹介をあわせてお読みいただければ幸いです。
最後に、また何度もしつこいですが、ASALABを通せば、著者割引(×0.8)での購入が可能です。ページ数と内容からすれば決して高価な本ではありません。ご注文をお待ちしております。
- 2010/10/18(月) 10:32:10|
- 研究室|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0