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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅠ)

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窟檐の痕跡か!?

 10月19日(火)。この日の作業は以下の通り。

 1 Ⅲ区(岩陰直下)断面の注記
 2 推定「下層井戸遺構」の掘り下げ
 3 D区東側斜面トレンチの掘り下げ
 4 C区突出トレンチを延長

 昨日、断面の線引き&作図をおこなったⅢ区(岩陰直下)を、先生がチェックし、注記されました。Ⅲ区の断面は、斜面に沿うように土層が斜めに堆積しており、周囲にそびえる大木の樹根によって大きく撹乱されています。注記をされる前に図面を見た先生は、瞬時に「おかしい」と一言。学生の描いたの断面図では、近代のタタキおよびコンクリート基礎の上に古い土が堆積するという土層関係になっていて、近代の整地が古い時代のものとなってしいます。こういう場合、まず古い層側に切り込んでいる近代の層のエッジのラインを探さなければならない、とのこと。その後、先生が層位を見直していくと、古い層に双子の柱穴(後日3つ子穴であることが判明)があることが明らかに(↑)。つまり、トレンチの壁際から出た土器片(カワラケ)は、柱抜取穴の底に埋没していたものだったのです。その晩のミーティングで、先生から「断面は自分が(思いこみで)見えるがまま作図するのではなく、何故そうなっているのかを考えないといけない。層位は目で見るだけではなく、頭で見るものだ」とご指導をいただきました。
 それにしても、Ⅲ区は岩陰の下のトレンチとあって、今回の柱穴の発見は、1)岩陰に庇があった可能性、あるいは2)Ⅱ区加工段(整地による平坦地)の建築と岩陰の一体化、のどちらかを示すものでしょう。前者の場合、中国石窟寺院でいうところの「窟檐(くつえん)」、後者ならば雲岡石窟などにみられる外陣木造建築と言えるでしょう。

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左:器の底部と縁が残ったスエキ 右:なぞの黒いピット

 下層井戸遺構の掘り下げは、北側、南側ともに中心部に残る黒灰土(井戸枠内埋土最上層)を取り除いていきました。まもなくして南側からは底部から器の縁まで残った分厚い須恵器と小さなカワラケが出土。北側からは、直径10センチほどの黒いピットが連続して検出されました。ぱっと見た感じでは朽ちた木杭のようですが、今の段階ではなんともいえません。今後の調査で明らかとなるでしょう。

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 昨日に続き、D区東側斜面トレンチは遺物を取り上げて掘り下げを再開。掘り下げをおこなった轟くん曰く、茶灰土とその下の茶褐土は斜面下で途切れ、ここで基壇が終わるようですが、これいかに。また、C区斜面にある礎石が元位置のものかどうかを確認するため、C区突出トレンチを延長し、断面の層位と礎石の関係をみていきました。掘り下げを担当したのは私ですが、C区突出トレンチでみた盛土と似た灰茶褐色の土が斜面に沿って出てきており、礎石は元位置から動いているかもしれません。しかし仮に礎石が動いていると判断すると、なぜわざわざ斜面の高いところに礎石風の石を置く必要があったのかという疑問も残ります。明日、これらD区東側斜面トレンチ断面とC区突出トレンチ延長部の線引と作図をおこなう予定です。はたして二人の考えはあたっているのか。(Mr.エアポート)

  1. 2010/10/25(月) 12:49:53|
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