喫茶店の旅 11月9日(火)。この日の遥かなまちでは、おもに建造物の補足調査と喫茶店の探索をおこないました。
倉吉には昔ながらの外装・内装を残した「レトロ」な喫茶店が多数あります。美味しいコーヒーが飲める喫茶店は、戦争をはさんで市民の間で一大ブームを築いたということですから、昭和の人びとの生活を語るうえで喫茶店の存在は欠かせません。昭和レトロ街構想としても重要な要素です。実際にどれくらい喫茶店が存在しているのかその分布数の調査と、そのなかに残された「昭和」のデザインを探ることが、今回の目的です。
いまではごくごく身近になっている喫茶店ですが、日本初の本格的な喫茶店は、明治21年に東京上野西黒門町で開かれた「可否茶館」で、これ以降、「喫茶店」「カフェ」を名のる店が登場し始めました。コーヒーとともに徐々に浸透した喫茶店文化は大正時代にかけて大衆化し、昭和5年頃になると東京の喫茶店数が7,000店を越えるほどになりました。戦時中に制限されたコーヒー豆の輸入も昭和25年に再開、ブームに火がつきます。とりわけ「ジャス喫茶」は1960年代(昭和30年代)に一大ブームに。個人でレコードなどの機器を購入するのが困難だった時代、リクエストしたレコードをかけてもらえるジャス喫茶は音楽を楽しめる貴重な場所でした。そうして1970年代には漫画喫茶も登場、喫茶店は新旧のサービス・設備を織り交ぜつつ、市民のうるおいの場所としての立ち位置を確立しています。

(写真:麻雀のできるテーブル。倉吉のいくつかの喫茶店でも発見)
さて、倉吉ではどんな「レトロ」な喫茶店に出会えるのでしょう……
倉吉で喫茶店を訪れたのは、前回の
遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅥ)(10月28日)のとき一店お邪魔しましたのが記憶にあるくらい。どんな喫茶店に出会えるかどきどきしつつ、まちの東側から攻めていくことに。おもな喫茶店の写真レポートを「続き」から記しています。
◆吊り天井のある喫茶店

・開店:昭和40年代はじめ
・2階建。昔は2階も店舗(現在は常連客の方が高齢化されたこともあり、階段は危ないので2階は使用していない)
・店内は吊り天井で、照明などの内装も凝っている。こういった古い内装やグッズを敢えて残しているとのこと。
・(一番右の写真)くぐって通るドア。その左手の柱には細かい細工がなされているのが見て取れる。ご店主いわく、「このドアをくぐれなくなったらお店をたたもうかな…」
◆昔ながらのメニュー表

・開店:昭和56年頃
・メニューにはコーヒーのほかに、オレンジミルク、レモンスカッシュなどどことなく懐かしさを感じさせる飲物がたくさん。
・照明や椅子など、店内にあるものすべてに細かなこだわりを感じる。
◆貴重な手動式レジスター

・開店:昭和47年
・店内には、漫画・雑誌がずらり。
・手動式レジスターは、都会から来たお客さんなどにとくに珍しがられるそう。
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こうしてコーヒー(ときどき他の飲物)をいただいては、喫茶店を「ハシゴ」していたわたしたちですが……コーヒーの飲みすぎか、調査の終わりの方には胃痛+胸焼けが……
そんなわけで、今回いただいた飲物(一部)をご紹介して、今回の記事の結びにしたいと思います。(きっかわ・どぅんびあ・どんべえ)

(左から、コーヒー、ゆずレモン、抹茶チーノ、コーヒー、ブレンドコーヒー、ホットミルク、ブレンドコーヒー、ホットオレンジ、コーヒー)
- 2010/11/15(月) 19:04:43|
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コメント:1
大都会の文化だね。平岡正明の一連の著作を読むとよいですが・・・左翼思想=大学紛争との関係が強すぎて、倉吉のほのぼのとした懐かしい故郷の風景とは似合わないかもしれない。「フォーク喫茶」というのも最近は流行っているのですよ。日本では高田渡の「ごあいさつ」が生まれ、アメリカでニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」や「ハーベスト」がいっせいを風靡したのが1970年前後。安保闘争の真っ最中だな・・・昭和45年です。あのころが日本の全盛期かもしれません・・・
- 2010/11/15(月) 19:11:21 |
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- asax #90N4AH2A
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