私の卒業制作である打出(うちいで)遺跡住居跡の復元模型を車に積んで、先生、ノビタ君と私の3名で富山市まで行ってきました。途中、敦賀あたりで雪による速度規制に引っかかり、道路走行時間は約8時間。鳥取発が午前7時、富山着が午後3時でして、先生はぐったりきていましたね。前日の夜に鳥取を出て、どこか泊まってから、2泊3日で行けばよかったかなと思いました。
打出遺跡で弥生時代終末期の焼失住居跡が発見されたのは、昨年夏のことでした。さっそく、先生が足を運ばれて調査を指導し、今年度は報告書の作成にあたり、浅川研究室が復元模型の制作を担当することになったのです。卒業論文の中間発表会から何度も模型を作りなおしましたが、なかなか先生のお気にめさず、とても苦しみました。最近、ようやくお許しをいただき、発掘調査を担当された小黒さんのコメントをいただこうということで、富山市埋蔵文化財センターを訪問することになったのです。検討の結果、旧地表面と周堤の高さ、幅などに変更が加わることとなりました。さらに、入口も平入から妻入に変えることになりました。
本来ならば、もっと模型が作りこんである状態で持っていき、図面も揃えて、検討しなければならなかったのですが、私の不手際のために作業が遅れてしまい、かなり中途半端な状態での打ち合わせとなってしまいました。富山市埋蔵文化財センターの方々には、大変ご迷惑をおかけした事をお詫びいたします。
12月末の締め切りまで、自分の持てる力のすべてを注ぎ込んで製作に集中したいと思います。まずは早急に設計図を完成させるようにと、先生からは指示されています。(利蔵)

↓炭化茅の付着した打出の半裁垂木(資料館)。松江市の田和山遺跡では、半裁丸太の平坦面に横方向の茅が付着していたが、打出遺跡では丸まった面に横・縦2方向の茅が付着していた。倒壊にともなう反転現象とはみなし難い。

↓氷雨降る夜の北代と野良猫一匹。

↓??

- 2005/12/09(金) 22:49:36|
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