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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

新羅の道-慶州巡礼(Ⅰ)

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南山から見下ろして(上)

 10月29日~11月1日にかけて、研究室のメンバー5名で慶州を訪問した。わたしと部長と轟きは2月に続く再訪である。この旅行は、発掘調査完了を祝い労いのツアーとして企画されたものだったが、秋の長雨のせいで現場作業は遅々として進まず、現場が終わらないまま出国するはめに・・・おかげで、出国時の気分はモヤモヤしていた。が、開きなおって、旅を満喫するしかありませんね。
 今回の慶州行は、9月初旬の甘粛石窟寺院の調査に後続するものである。これまで大同の雲岡石窟、甘粛の莫積山石窟、莫高窟などの中国の石窟寺院を視察し、また山陰地方においても摩尼寺「奥の院」を始め、岩屋堂、鰐淵寺等、岩窟に建築が木造建築が複合する密教寺院を踏査してきた。今回は日本と中国の結節点である朝鮮半島の旧新羅地域に着目した。新羅は日本海を挟んで山陰の対岸にあたり、出雲国風土記の「国引神話」にみられるように、古代の文化的交流が盛んであったと推定されるエリアである。

 慶州は、およそ千年間新羅王朝の都として栄えた。三国時代(前57年~676年)から統一新羅時代(676~935年)の古墳や仏教関連の遺跡が多数残っており、「慶州歴史地域」として世界文化遺産に登録されている。仏教の聖地として知られる南山もその一地区に含まれており、山の岩肌には多数の磨崖仏が残っている。慶州初日(29日)は、慶州国立博物館を訪れ、南山や石窟庵に関する資料文献を収集し、夜ホテルのベッドの上でそれらを広げ、南山の調査ルートを吟味した。
 南山は新羅文化の中心を成す霊山で、全域に数多くの磨崖仏や石仏、寺院跡が散在している。市街地から南に4キロの位置にあり、標高468mの丘陵状の山嶺は南北8キロ、東西4キロに及ぶ。登山口はいくつもあり、登山道も山全体を縦横無尽にめぐっている。日本のガイドブックには南山を東西に横断する代表的なトレッキングコースを3本提示しており、時間と体力に見合ったルートを選ぶよう勧めている。どうやら石仏は谷沿いに集中しているらしく、一筆書きですべての遺跡をまわることはできないようだ。とはいえ、ガイドブックのルートでは私たちが目的としている岩窟仏堂を通らないので、調査隊はオリジナルの調査ルートを設定する必要があった。

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 翌日、吟味したルートをもとに入山。まず山の北側から入山し、南山の尾根を縦断してガイドブックの示すコース2本を直行する。そのまま山頂の「金鰲峰」を目指し、そこから西に折れて「三陵谷」を沢づたいに下る。おそらく、このルートで南山を訪れる観光客はいないんじゃないかな。地図には載っている道だが、ホテルで予約したタクシーの運転手ですらこの登山口がわからないようで(ホテルの従業員も知らない)、地図で何度も確認して出発した後、到着した場所が農村はずれの獣道のような登山口であったという事実を知ったとき、少々恐怖を覚えた。ルートを設定した責任上、この登り口であっているのか、無事目的地にたどり着くのかという不安が私を襲ったのだ。

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↑仏谷龕室石仏坐像

 第一目的地は、昨年から注目していた「仏谷龕室石仏坐像」。名前からしていかにも岩窟を思わせるのだが、正式名称を知ったのはつい昨日のこと。日本国内における南山の資料は少なく、昨年の学科旅行で偶然出会った看板の写真を頼りに、博物館で購入した資料と照らし合わせ位置が明らかとなったのだ。入山して20分。笹が生い茂る山道を抜けると、それは目の前に現れた。まずはルートが合っていたことに安堵した、と同時に、岩窟型仏堂が朝鮮半島に実在することに喜びを得た。あきらかに自然石をくりぬいた岩窟で、石窟寺院のミニチュアというよりも、「仏龕」あるいは「石造の厨子」のような赴きがある。仏谷龕室石仏坐像は7世紀前半の作で、山肌から露出した花崗岩の突出部に穿かれたものである。さっそく手分けして実測調査に入った。よく見ると、岩窟内の石仏は磨崖仏になっており、岩窟と石仏が一体化している。また、岩肌(岩盤)と地面が接するところに礎石のような石がみられ、ここに覆屋があったことが推定される。残念ながら岩盤上にピットは見られないが、当初は岩窟と木造建築が複合していたことが想像される。第一目的地で早くも大きな収穫を得ることができた。
 その後、しばらく尾根を歩き山頂を目指した。山中には石仏や寺院跡以外にも土饅頭型の墳丘墓が数多く見られる。また、南山は奇岩でも有名のようだ。ところどころに露出した岩肌や巨大な奇岩が目に入る。この南山も摩尼山と同様、地皮が薄いのだろう、樹々の背が低い。見晴らしの良い奇岩によじ登っては眼下に広がる慶州の風景を何度となく眺めた。田んぼとわずかばかりの集落が広がっており、そこを大きな道路が横切って山中へと消えていく。どこか見慣れた風景に、思わず「大山山麓のようだ」との声が上がった(続)。(Mr.エアポート)


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  1. 2010/11/19(金) 13:32:15|
  2. 研究室|
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