潮風の看板建築 慶州巡礼を終えた一行は釜山で一泊しました。11月1日(月)、最終日の天気は、見事な快晴でした。この日はホテル近くのお店で軽く朝食をとったあと、近くの漁港市場へ。
見学したのは「チャガルチ市場」のうちの一角、「乾魚物都売市場」、韓国語では「コンオムルトメシジャン」と呼びます。一般に、釜山最大の繁華街である南浦洞(ナンポドン)から忠武洞(チュンムドン)に至る海岸一帯をチャガルチ市場と言い、コンオムルトメシジャンはその東側に位置しています。
地下道を通って南浦洞駅出口を出たすぐそこには、もう潮風の香り。市場は駅を出て目の前にあります。そしてわたしたちは見覚えのある横顔に出合いました……

(左:建物側面を撮ったもの 右:左側の2棟目が左写真の建物正面)
それは、日本の町家です。この界隈にはなんと、70年以上前に建てられた日本の町家(店舗併用住宅)が現存しているのです。悪くいえば、日本帝国主義の遺産ですね。
上記写真の建物は日本でいう「看板建築」(建物正面を近代的な構造物・意匠で覆い町家の外観を隠したもの)で、正面からはわかりませんが、側面(上の右写真)から見ると町家の面影を確認できます。海を越えた外国の地で日本の町家を、のみならず看板建築まで見られたということにとても驚かされてしまいました。
下の左写真が日本の看板建築(現在私が卒業研究で取り組んでいる倉吉市の看板建築)写真です。見比べてみてください。

(左:倉吉市旧陣屋町の看板建築 右:市場で見つけた看板建築)

伝統的建物を正面だけ近代風へ改築するという「住み方の変化」を韓国の地で体感できるとは……。
……このままだと看板建築の話ばかりになってしまいそうですね。建物ばかりでなく、市場の賑わいにも圧倒されました。
店舗には魚の干物などが所狭しと並べられ、なんだか見たことのないような魚もたくさん。おなじみの韓国海苔もお安くなっています。先生はカワハギの干物をご購入、スルメを大量に仕入れようと値切り交渉を試みられましたが、売り子さんは手ごわかったようです……。
その後、お土産屋さんのほか、健康食品が並んだお店なども回ったあと、市場を後にしました。
今回、このような釜山の市場で「韓国レトロ」を見ることができるとは思いもよらなかったので、とても勉強になりました。ただ、こられらの建物は、戦時下、日本による支配のもと建てられたものであることを忘れてはなりません。これらの日本建築がこの地になじむまでにどんな歴史が積み重ねられてきたのか、考えられずにはいられません。市場を一歩外へ出れば、そこにはビルが立ち並ぶ風景がひろがります。この一帯に日本建築が残っているのは奇跡のようです。複雑な歴史を抱えているからこそ、これからさきも受け継がれていってほしいと思います。

さて、市場からホテルへ戻り、空港へとたどりつくと、韓国ともお別れです……。約1時間のフライトは何事もなく過ぎ、無事関空へと到着致しました。問題はそう……そのあとだったのですが、いろいろ事情があって詳しいことは書けません。ただひと言でいうと、「乗り物酔い」です。以後、なにかにつけ、先生は「ゲロゲロ」と口にされるようになりました……。
なにはともあれ、無事帰国できてなによりです。
短いようで長い旅程となりました……みなさま、おつかれさまでした!(きっかわ・ゲロゲロ・どんべえ)

(左:市場を出たあと、地下街でお茶 右:地下街で先生はNEWバッグを買われていました)
- 2010/12/04(土) 00:47:02|
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