最後の仕事 11月30日(火)。2日続けての埋め戻し作業も終了し、現場に残っているのは8月に設営したマーキーテントと4ヶ月使い続けた発掘道具だけ。この日、これらの道具を現場から撤収し持って降りることになりました。現場での作業はこれが最後になるでしょう。
私とエアポートさん、部長さん、ナオキさんが先発で現場に上がり、マーキーテントを解体しながら、道具を持ち運びやすいように整頓していきました。撤収とは、テントの単管を運ぶということです。8月に道具を搬入したときに完全にバテていた私が不安がっているのを横目に、エアポートさんが単管を運ぶ準備を着々と進められていきました。
まずは私とナオキさんで先陣を切って単管を運び出すと、下りの山道だからなのでしょうか、不安とは裏腹に足が軽快に動くではありませんか。順調に下っていくと1年生が合流し、現場へと向かっていきました。現場に残っている道具を撤収するには、先発のメンバーだけでは1人3~4往復しなければならないと思っていたのですが、心強い味方の登場です。単管の次は大量のブルーシートが強敵でして、1年生女子がブルーシートを運んでいたのですが、ズルズルと引きずりそうで、山道の難所である丸太の一本橋を無事に渡れるか心配でした。ブルーシートの運搬はナオキさんが奮闘し1人で7枚のブルーシートを運んでくれました。あまりの重さに苦しむナオキさん。1人で持ち過ぎでは?と思ったのですが、無事運びきってくださったおかげで、後続の負担がかなり減りましたよ。皆さんのお力添えがあってか、1人2往復という少ない回数で現場から道具を撤収できました。

予定時間より1時間半ほど早く道具を持って降りることができたのですが、すべての道具を大学に持ち帰るにはトラックが必要です。16時にタクオさんが大学からBDFトラックを借りてきてくださるとのことですので、しばらく道具とともに麓の門脇茶屋喫茶部で待たせていただきました。コーヒーをすすりながら待つこと30分。15時半になったところで、1年生は先に大学に戻っていきました。お疲れ様でした。そしてお水をすすりながら待つこと1時間。16時半になってようやくタクオさんが登場。ササっと荷物をトラックに積み込み、お世話になった門脇茶屋喫茶部ご夫婦に挨拶を済ませ、大学へと向かうのでした。
私は道具がすべて撤収されてからの現場は直接見ていないので、後で写真をエアポートさんに見せてもらうと、現場はずいぶん伽藍とした雰囲気で、本当に何もなくなってしまったんですね。すっかり片付いた「奥の院」を見て、現場での作業が名残惜しいとも感じましたが、先に進まねばなりません。
また次が始まります。(轟)【完】

↑すべての道具が撤収された現場
*環境大学ホームページのTUESニュースで「
摩尼寺奥の院公開検討会」が取り上げられました。
ぜひご参照ください!
- 2010/12/08(水) 00:13:00|
- 史跡|
-
トラックバック:0|
-
コメント:1