
島根県というのは不思議なところだ。益田出身の益田さんという大学の先輩が研究室にいた。そして、文学部には平田出身の平田さんという先輩がいて、いまは中国研究の大家になっている。益田に行ったことはないけれども、平田には毎年通っている。出雲一帯はわたしの高校訪問テリトリーであり、学科に平田高校の卒業生がいることもあって、9月下旬には平田高校にも必ず挨拶にうかがうのである。
もちろんあっさり帰ってくるわけではない。平田と言えば、鰐淵寺だ。あの浮浪の滝は何度おとずれても気持ちよく、この夏は患者を同行して山道をあがろうと試みたのだが、だれがどう考えても無謀な行為であり、途中で引き返した。このように、平田と言えば鰐淵寺であり、鰐淵寺以外に文化財建造物を思い浮かべることすらできなかったのだが、このたび平田の旧市街地にある「木綿街道」にご招待いただいた。

素晴らしい町並みが残っている。土蔵造妻入の町家が軒を連ねており、埼玉の川越とか、九州北部の一連の重伝建地区の町並みを思い起こした。また、市街地は中世の寺内町のごとき環濠集落の様相を示しており、その濠にあたる小さな川はかつて宍道湖の護岸だったところをうめたてたものだという。護岸の石垣と倉の背面と樹木によって清々しい「川並み」が形成されている。すでに国交省系および経産省系の補助事業により、一部の町家の修景や改修がおこなわれており、今年度は国交省系の「住まいまちづくり担い手」事業に採択されていて、いろいろな経緯があってアドバイザに就任することになった。
その第1回めのミーティングが旧造酒家で開かれた。熱のこもったミーティングで、地域住民の熱意がほとばしるように伝わってきた。いまここで何を話し合ったのかは言えない。ただ・・・国交省系・経産省系の補助事業によって町並み整備を続けていくのならば、わたしの出番は多くないだろうと思っていたのだが、どうやらもう少し積極的な関与が必要になってきたようだ。来年以降、研究室のスタッフが激減するので、どういう対応がふさわしいのか、学生たちと話しあわなければならない、と思っている。
おそらく2月にワークショップが開催されるので、その際には学内外の何名かを連れていくことになるでしょう。
- 2010/12/19(日) 04:19:19|
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