那智・速玉巡礼 この2月、国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観-」を開催し、そこで三徳山の世界遺産暫定リスト登録に係わる問題点を取り上げました。一つの大きな問題は、すでに世界文化遺産登録されている「紀伊山地の霊場と参詣途」との重複です。今回「紀伊山地の霊場と参詣道」の視察を中心に、岩窟や岩陰なども探しつつ、和歌山と奈良をめぐってきました。
まずは奇絶峡に行きました。川には大きな岩がたくさん見受けられ、そこにかかる滝見橋を渡ると滝と対面。たまった水は澄んでいて、紅葉も加わり更に綺麗でした。次に石段を上って行くと、堂本印象画伯の原画をもとにした磨崖三尊大石仏が彫られている岩が見えてきました。磨崖仏を目的にここまで来ましたが、実は昭和41年に彫刻されたもののようでした。すぐ近くで見ることができたので、切れ目なく上まで伸びる岩や彫刻の大きさにも驚きましたが、斜面からどうやって彫っているのか不思議に思いました。
奇絶峡を後にし、次の目的地へ向かう途中、まるで線引きでもされたように色がきれいに緑と紅葉で分かれている山を発見して、驚きました。そして、白い川辺と青い川が広がり、景色も開けているところがたくさんあって、とても綺麗でした。


左:奇絶峡の磨崖仏(昭和41年に彫刻) 右:植林と紅葉で分かれる山
那智山に到着後、まず那智の滝を見に行きました。飛瀧神社の鳥居をくぐり、石段を下りていくと前方に大きな滝が見えてきました。この滝は那智の大滝と言われ、落差133mもある日本一の滝とのこと。すごく高くて、迫力ある滝に目を奪われるなか、せっかくなのでより近くまで見に行くことに。滝の流れる音や風など間近に感じられ、とても気持ち安らぐ空間・時間でした。また、滝に見入っていたら日が差し込んできて、滝の中に虹が浮かぶささやかなサプライズもあり、素晴らしかったです。それから、那智御滝水を飲んで寿命を延ばしつつ、青岸渡寺の三重塔へ。ここからも那智の滝を眺められ、高さ・角度の違った大滝を楽しむことができ、周りにはグラデーションごとく山々もひろがっています。
それから青岸渡寺の本堂へ。青岸渡寺は、インドの僧「裸形上人」が、大滝の滝壷の中から観音像を見つけ出し、草庵を結んで安置したことから始まったといわれています。桃山時代になると織田信長の焼き討ちにあい、豊臣秀吉によって再建されました。落ち着いた雰囲気を醸し出しているその隣に見えるのが、朱塗で派手やかな色を放つ熊野那智大社。熊野三山の一つです。こちらは大滝を信仰する自然崇拝より始まったとされ、熊野夫須美大神を主祭神とし、「熊野十二所権現」を祀っています。今の場所に社殿を移したのは4世紀の仁徳天皇のころとされていて、周りには樹齢800年余の太くて立派な大楠や、神武天皇が大和国に入る際に道案内したといわれる3本足の「ヤタガラス」の像などもありました。


左:那智の滝と青岸渡寺の三重塔 右:熊野那智大社

続いて熊野速玉大社に行きました。こちらも熊野三山の一つです。約2千年前に神倉山に祀られていた神々を遷した地が、現在の速玉大社であり、そのためこの地は「新宮」という地名がついたそうです。そして速玉大社の近くの、熊野の神々が初めて降臨したという権現山(神倉山)の中腹にそびえる神倉神社へ。538段の石段の傾斜具合と一段一段の高さに心折れそうになりながら神倉神社に祀ってあるゴトビキ岩を目指し、いざ出陣。息切れ必死で、那智御滝水で伸ばした寿命が縮まっていくと感じながらなんとか制覇。大きく広がる岩の上に神社とゴトビキ岩があり、間近で見ることができ、神社を超えるほどの岩に改めて立派だと感じました。転がってきたら負けると圧倒されながらゴトビキ岩を後にしました。帰りも急斜面の石段を降りることになるのかと若干命の危険を感じていましたが、別ルートの少し緩やかになっている道を発見し、無事生還。ここでは毎年2月6日にお燈まつりという、松明を持った男たちが一斉に石段を下りていくという、修験儀式ともされるお祭りが行われているそうです。駆け下りるなんぞ至難の業のように思いました。
時間が限られているため慌ただしく見学して回りましたが、どこもたくさんの自然に囲まれていて、気持ちが癒されました。那智大社も速玉大社も、那智の滝やゴトビキ岩などの自然物への信仰から、現在の霊場が形成されていったことが、実際に現地を訪れることで体感できたように思います。(ヒノッキー)


左:神倉神社とゴトビキ岩 右:急傾斜の石段
- 2010/12/23(木) 04:12:42|
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