元旦の夕方、一家をあげて特養の母を訪問した。母は「笑点」が大好きで、ちょうどその時間に子と孫がベッドを囲み、全員で大笑いした。母はとても楽しそうだったが、ふと涙を流した。
昨日の紅白は「トイレの神様」がいちばん良かったなぁ・・・
と言う。
うん、あれが本当のレコード大賞だよね
とわたしは答えた。
紅白歌合戦という番組は、あまり好きではなかった。ちゃらちゃらしたアイドルと演歌の大御所の集まりにうんざりして、毎年、裏番組の格闘技かバラエティを視ていたのだが、この晦日は最初から最後まで紅白を視続けた。植村花菜の歌う「トイレの神様」を紅白というライブの場で聴きたかったのである。この曲にであったのは、その2日前のこと。ラヂオに流れる「トイレの神様」を耳にして「いい曲だな」と思い、ただちにアマゾンに注文すると、翌日には『わたしのかけらたち』というミニCDアルバム&DVDが届いた。なんども「トイレの神様」を聴き、DVDを視て、涙腺がゆるゆるになった。それが30日のことである。
司会の松下奈緒は泣いていた。唄が終わったあとではない、植村花菜を紹介する前ふりのスピーチを懸命に続けるのだが、目はうるうるで、涙がすでに溢れている。気持ちはよく分かった。この曲を聴いて、心を打たれた者なら同じようになるだろう。いやむしろ、涙が溢れて泣いてしまい、スピーチできなくなる方が普通であり、女優を職業とする松下は泣きたくなる気持ちを必死で抑えながら司会という職務を全うしようとしていた。
画面がステージの植村に切り替わった。植村は目を閉じて上を向いている。あれは祈りであったにちがいない。初出場の大舞台で自分が唄を歌いきれるかどうか不安な気持ちがあったのだろうが、彼女には彼女を守ってくれる祖母が天にいる。唄を歌う自分を励ましてくれるよう祖母に祈っていたのだろう。イントロはない。深呼吸をしてから弦をつま弾き、声を出す。
植村も松下と似ていた。徐々に涙目になっていくのがみてとれた。しかし、彼女は泣き出して、歌をやめるようなことはしなかった。歌を聴く多くの人びとは泣いていただろう。しかし、植村は立派に「トイレの神様」を歌いとおした。8分近い尺を与えられた歌手は例外である。しかし、その長い尺を「長い」と感じた聴衆は例外だと私は信じている。歌い終わった植村は、「ありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。
カメラはNHKのアナウンサーを映し、そのアナウンサーは審査席にコメントを求めた。上野樹里や仲間由紀恵だけでなく、北大路欣哉まで目が潤んでいる。審査席の後にみえる聴衆たちも涙を流していた。上野と仲間のコメントは、やはり松下のスピーチとよく似ていた。女優として、審査員として、適切な発言をしなければならない。その責任を果たそうと努力していたけれども、本心としては、涙をこらえることなく、ただ歌の余韻に浸りたかったことだろう。
植村の歌唱は、審査員や聴衆だけでなく、他の歌手にまで影響を及ぼした。そう思ってわたしは画面をおっていた。坂本冬美の「また君に恋してる」もどうしても聴きたい曲であった。坂本冬美も途中から涙目になり、ほとんど泣きそうになって歌い終わり、「ありがとうございました」と頭を下げた。石川さゆりもいきものがかりも、みな涙目になっていた。それらすべてが「トイレの神様」の影響だとは言えないだろうが、「トイレの神様」の後にうたう女性歌手の心情になにがしらかの影を落としていただろう。それほど植村の素朴な歌声は聴く者を動かしたのだと信じたい。
毎年、地域生活文化論という講義で、こういう話をする。
わたしの実家には、オモヤとハナレの間にバラックのような
建物があって、風呂と便所のあいだの薄暗い場所に
いつのころからか、大きなカエルが住み着いて、
げろげろ鳴くようになったんだ。
ちょっと怖いというか、気味わるかったんだけど、
おばあちゃんが言うんだな。あれは家の神さまだからね。
追い出したり、ぞんざいに扱っちゃいけないんよ。
蛇からも守ってあげんといけん。
あれは、家の神様だから・・・
- 2011/01/02(日) 00:20:12|
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