一時期愛読していた平岡正明が『山口百恵は菩薩である』(1983)を出したとき、何を血迷ったのか、と嘆かわしくなり、書店に平積みされている単行本の塊を目にしても、手にとることすらせず、新書コーナーを足早に通りすぎ去った。2歳年下で同じ山羊座の山口百恵を美女だと思ったこともなければ、彼女の歌が好きだったこともなく、中国留学中(1982-84)には、引退後の山口百恵(サンコウパイフイ)の中国内におけるあまりの人気に閉口していた。「なぜ復帰しないのか?」と何度も問われ、「そんなこと知らない、興味がない」と答えるだけだった。
山口百恵は宇宙人かもしれない、と今は思っている。彼女の自伝『蒼い時』所収の「死」と題する随想に以下のような一節が含まれている。
ある時、夢とも現(うつつ)とも区別がつかないまま、不思議な情景を見た。
何を考えるでもなく、ただぼんやりと、自分のベッドに腰かけていた。
瞬間、段をひとつふみはずしたような衝撃を感じた。その次には、
信じられないことがおきていた。自分の足元に自分が座っていたのだ。私は
自分を眼下に見下ろしていた。その部屋の空気の中に、自分の匂いが消え、
気配すらも消えてしまっていた。下の部屋では、母と妹が何の変わりもなく
話しているのが見えた。哀しい思いに胸を衝かれたとたん、またさっきと
同じ衝撃を覚えた。気がつくと、私は自分のベッドに腰かけていた。
それは、「肉体と魂とが完全に離れてしまった感じ」であり、一瞬の臨死体験だったのかもしれない、とも彼女は述べている。人類が宇宙飛行を経験するはるか以前、かのユングは臨死体験の後に「地球は蒼かった」という感想を披露した。自分の魂が肉体から離れてゆき、はるか大宇宙に飛び立って、地球を見下ろしたとき、そう見えたというのだ。これもまた臨死体験のひとつであって、山口のそれはユングの小型バージョンのように思える。
山口百恵の『蒼い時』(1980)は、文庫本の初版(1981)からすでに59刷を重ねているロングセラーだ。まずは、その筆力に驚かされる。並のゴーストライターでは絶対に書けない名文の集合である。残間ナントカというプロデューサーがいたことを差し引いても、これだけの文章を著す才能に脱帽するしかない。同時に取り寄せた村上春樹の随想集や対談よりもはるかにおもしろい。おもしろいのはもちろん筆力だけに因があるからではない。内容にも恐れ入った。上の臨死体験に象徴されるように、書き手としての山口百恵は、芸能人としての山口百恵、あるいは日常生活者としての山口百恵を外側から客観的に見通している。司馬遼太郎が坂本龍馬を描写するようにして、山口百恵は山口百恵を描写しているのである。山口の肉体の外にもう一人の山口がいるから、そういうことができるのであって、臨死体験はその極端な状態だったということではないのか。
平岡正明のいう「菩薩」に最もふさわしい描写は、「海」という随想にあらわれる。山口は子どものころから海が好きで、ただ海を眺め、「波」を数えているのだという。それに続く以下の文章は、『般若心経』の哲学を恋心の描写に変換させたもののように思えてならない。
私は今、私のすぐそばに海を感じることができる。
東京の街からは見えない。遠くなってしまったように思っていた海は、
私の愛した人の心の中でゆるやかに大きく広がっていた。私の小さな波は、
引いて彼の大海原へと戻って行く。
この海にも嵐は来るだろう。
風も騒ぐだろう。
でも、変わることはない、永遠の海だ。
(続)
- 2011/02/16(水) 12:33:21|
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