
古代出雲歴史博物館での打ち合わせを経て、一行は鵜鷺(うさぎ)地区へと向かいました。卯年にウサギという名の集落を訪れるなんて、今年はきっと良い歳になるでしょう。それにしても、「鵜鷺」と書いて「うさぎ」とはこれ如何に?
鵜鷺地区は島根半島の西端にあり、出雲大社と北山をはさんで反対側、日本海に面した漁村です。鵜鷺という地名は地図上にはなく、鵜峠(うど)地区と鷺浦(さぎうら)地区を合わせたエリアの総称です。かつては北前船の寄港地として栄えましたが、漁港自体は小さく、住戸は北山と海辺の間のわずかな平坦地に密集して、集落は海岸線と平行に展開し、扇形を呈しています。その町割りは特徴的で、海岸線から放射状に数本の道が設けられて平入りの民家が軒を連ねます。そしてそれらの道に対して垂直に(海岸線と平行に)一本の道が集落を貫いているため、さながら妻入民家の町並み(↓)と勘違いしてしまいました。

町家等の建造物をみると、建築年代はそれほど古くはないものの、北前船で財を成したためか、一軒一軒の規模が大きく、なかには海鼠壁(なまこかべ)や鏝絵(こてえ↓)などの装飾や養蚕のために備えられた越屋根、風除けの竹壁(間立て=次頁上の写真)などもみられます。
今回、鵜鷺地区の視察には、「鵜鷺元気な会」会長の藤井さんにご案内いただきました。この会は地元活性化を目的に住民が立ち上げた組織で、HPによる情報発信や、地区内の空家を借り上げて宿泊施設として活用するほか、社会福祉協議会の補助制度を利用するなど木綿街道の振興会同様まちおこしを模索されています。ただ、極端な人口減少に悩まされています。最盛期には1700人ほどだったのが、今では260人にまで減っているとのこと。高齢化率も6割を超え、集落の半数以上が空家となっています。そういった状況が背景にあるからこそ、歴史的町並み景観がよく残ったのでしょうが、今後どのように定住人口問題を解決していくのか。全国の過疎地域に特有な課題をこの地区は象徴的に抱えています。
先生は、「とてもよい集落だが」と前おきしつつ、
「巨大化した板井原のようだな・・・」
という感想を漏らしておられました。板井原の良いところもそうでないところも、鵜鷺は大きなスケールで抱え込んでいるという意味だと思われます。


県教委からの2回にわたる情報提供によりますと、「文化庁は平田よりも鵜鷺の町並みを高く評価している」ということでしたが、先生も学生も「そうかな?」という疑問を拭えませんでした。木綿街道は規模の面では鵜鷺に及びませんが、町家の意匠の質では優っているし、潜在的な集客力もあるだろうと思われます。鵜鷺の場合、スケールの大きな点が却ってアダになっているのではないか、と危惧されます。著しい過疎の波に洗われる中で、はたしてあれだけ大規模な町並みを維持管理できるのかどうか・・・その点、平田はコンパクトにまとまっており、町並み保全に適した規模だと言えるのではないでしょうか。
鵜鷺の地を後にし、再び北山を越えて「神迎えの道」を視察しました。出雲大社の神迎祭で竜蛇神のお通りになる道です。ワークショップ後の懇親会で、観光協会の方から「神迎えの道の伝統的建造物群について調査報告書がすでに発行されている」との発言があり、それはえらいことだということになって、急遽視察に組み込んだのですが、実際行ってみると・・・
所々に伝統的な町家があることはあるのですが、伝統的建造物群(町並み)としてはとても評価できるレベルにあるとは思えませんでした。調査された場所が少し違ったのかもしれませんね。発行されたという報告書をいちど調べてみる必要がありそうです。
鵜鷺と神向いは、いわば平田のライバルです。出雲市内で町並み保全の取り組みを進めていく場合、どこに最も将来性があるのか、ともかく視察して比較しないと話にならないので、そうしてみたのですが、平田は決して劣等感をもつ必要はありません。むしろ、平田が最も可能性を感じさせる町並みを残していると言ってよいのではないでしょうか。それは3ヶ所を視察した全員(教員・学生・Yカメラマン)に共有される感想でした。
木綿街道振興会のみなさんは、自信をもって「町並み保全をベースとするまちづくり」に取り組んでください。微力ながら支援させていただきます。(タクオ) 【完】
- 2011/02/20(日) 12:57:55|
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