院生2名をひきつれて、尾崎家住宅までご焼香にあがってまりました。奥様の大変なお気遣いに、ただただ頭が下がる想いです。
同行した岡垣・今城が2年生のとき、岡野・北野率いる調査チームが熱い夏休みに調査にあけくれたのです。岡垣くんと今城さんは安楽寺の山門と道沿いの連続立面図の実測を担当しました。あのころはまだ下っ端だったかれらが、今日に至るまで研究室を支えてくれて、まもなく修士課程の修了を迎えることになったわけです。「光陰矢のごとし」を肌身で感じる今日このごろです。
最後にご主人におめにかかったのは、2008年の秋でした。まもなく卒業する吉川さんが当時2年生で、国名勝「松甫園」の「陰陽五行の松」についての研究を進めており、なんどか尾崎家住宅に通わせていただいて、ご主人からヒアリングを続けたのですが、どうしても一部の枝振りと「水金火木土」の文字との対応が不明であることに気づき、補足調査を申し込んだのが2009年の初めでした。ところが、なにかの拍子に足首の骨を折られたということで、調査できぬまま今日の日を迎えてしまいました。
堅田門徒の「道場」に遺骨が祀られておりました。道場には何度か入らせていただきましたが、仏壇の扉をかくも大きく開いた状態でみたことはありません。その荘厳さんに圧倒されながら、線香に火をつけ、手をあわせたのです。道場は四間取りで、仏壇の対角にあるお座敷でご接待をうけました。ご主人の魂は、まだこのあたりにいらっしゃいますよ、とわたしは語りました。そして、ご主人に聞いていただきたいことをなにもかも話しました。
なんとしても、恩返しをしなければなりません。聞けば、ご主人は県の指定にはご不満で、「重要文化財以外は受けなくてよい」ともおっしゃっていたそうです。このまえ書きましたように、県の指定は国の指定に至るプロセスにすぎません。最終目標に向かって最大限の尽力をさせていただきます。わたしの力では足りぬかもしれませんが、誠心誠意努力いたします。いまは、そういうほかありません。
- 2011/03/02(水) 03:46:16|
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