海の杭上住居群 ホテルに近い島の浜辺にマングローブの禿げ沼がひろがっていた。
ミクロネシアのトラック諸島、ヤップ諸島、パラウ諸島で調査していた1980~82年、海岸線のあちこちにマングローブ林をみた。沼地からタコ足のように根っこが隆起し、樹幹を押し上げるその姿をみて、まるで宇宙の生物だな、と思ったものである。その沼地には、マングローブ蟹が棲息しており、ときに幹を這い上がる。この蟹が美味い。
マングローブ林の問題は、しばしば「コモンズの悲劇」の代名詞のように扱われてきた。それは、島民の共有財産であり、特定の人物の所有物ではない。ミクロネシアにおいて、マングローブは有用な建築材料であった。硬木で、垂木に使う。梁や桁などの水平材には軟らかい材が適しており、パンノキを使うのだが、屋根葺材ののる垂木は硬いほうがよいのである。垂木は細い材ではあるけれども、強靱でなければならない。簡単に折れてもらっては困る。垂木に使うから、マングローブをみさかいなく伐採し、ために群生林が禿げ沼になった、とは考えにくい。すでに、近隣の住居は伝統的な構法を放棄し、新しいスタイルに変わっており、垂木にマングローブを用いているようにはみえない。ひどく不安になった。ひょっとしたら、日本人の仕業なのかもしれない。マングローブは「炭」の材料として最高級のものであり、東南アジアの各地で日本の業者が乱伐したという報道を耳にしたような記憶が蘇ってきたからだ。

禿げ沼と化したマングローブ林のむこうに、水上住居の群れがみえた。本来ならば、マングローブ林に集落が囲まれていたのだろうが、いまは屋敷林がなくなって、道路からでも水上集落がみえる。遠目からは筏住居(floating house)のようにもみえたが、近づいてみると、それは杭上住居(piled dwelling)であった。海岸線だけでなく、沖合にも、少数ながら杭上住居の一群が横並びになって建っている。これらの住居群は海岸の陸地にあるのではなく、あくまで水上に建つものであり、環境に適応しているようで不安な点がないでもない。
ハロン湾(ベトナム)やトンレサップ湖(カンボジア)の水上集落では、家船か筏住居が基本的な居住施設である。船や筏は、水位(潮位)の変化に適応しやすい。たとえば、トンレサップの場合、乾期と雨期で水位が10m以上上下するけれども、船や筏に住んでいれば、その上下動に十分対応できる。杭上集落の場合、水位が床面を超えないという前提がない限り、居住施設にはなりえないであろう。水位が床よりも高くなるということは、すなわち洪水や津波と同じ災害であって、そこは住む場所としての条件を失う。マクタン島の場合、床下の杭がそれほど高いとは思えなかった。おそらく2mあまりであろう。この程度の高さで済むということは、潮の満ち引きにそれほど大きなレベル差がないということであろう。


それにしても、海岸線の近くに陸地がないわけではないのに、海上に家を建てるのはなぜだろうか。ハロン湾の場合、カルスト地形の急峻な山(島)が陸地居住を拒否し、筏住居の発達を促したと思われるが、マクタンでは海浜部に平地がある。平地があるのに家を建てない。おそらく、杭上住居に住む漁民たちは「よそ者」なのだろう。漁民たちは、漁場を求めて海域を彷徨した。船を住処として漂海していた人びとがマクタンにやってきて、マクタンとシヴォのあいだを通る小さな「海峡」周辺が良い漁場であることを知った。良い漁場であるのだから、これ以上動く必要はない。ただ、定住しようにも、「よそ者」であるだけに「土地」をもたない。このため、海上に家を建てるしかなかった。つまり、マルセロ大橋から広域的にみわたせる杭上住居集落は「漁村」であると同時に「スクォッター」であり、以前はマングローブ林とさらに親密な関係にあったのかもしれないし、あるいは「スクォッター」の形成によりマングローブ植生が「禿げ沼」と化したのかもしれない。
今回の訪比では写真撮影に終始し、海上住居の中に入っていない。ヒアリングもまともにできていない。以上は、目に写る映像を経験に照らして歴史的に解釈しただけのことである。
- 2011/03/30(水) 23:10:35|
- 建築|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0