命をかけて峠を越えた。
雨と雪で凸凹の市街地を抜けると、河原町あたりで路面に雪が消え、安堵したのも束の間、用瀬から吹雪が始まり、智頭では路面圧雪、志戸坂峠は冷凍庫のようになっていて、生きた心地がしない。ストリート・スライダーズのロックンロールを大音量で鳴らして、神経を尖らせるしかなかった。峠の前後で、脱輪したトラック2台。横転とまではいかないが、崖面に車体をもたれかけた斜転状態であった。
中国縦貫道は、佐用-山崎区間のみ時速50㎞制限。山崎をすぎると快晴になり、此岸から彼岸にたどりついたという実感にひたった。このあたりから、CDをダイアナ・クラールの『クリスマス・ソングス』に変えた。だって、今日はクリスマス・イブなんだから。クリスマス・イブだから、同行するはずだったピエールは鳥取に残ったのです。
滝野社インターで高速を降り、入院している父を見舞った。ずいぶん元気になっている。熱も血圧も脈拍も正常なのだが、3週間の入院によって足腰が弱くなり、一人では歩けなくなってしまった。このまま帰宅しても「寝たきり老人」だから、今はリハビリに励んでいる。看病の母は、武内神社の「長寿延命」絵馬をベッドの手すりに吊してくれた。
社病院をでて、再び高速にのったのだが、ここでトラブル発生。名塩パークで駐車していた車を動かそうとしていると、後ろから大柄の男性が近づいてきた。
「今、当たりませんでした?」
「えっ、わたしの車があなたの体に当たったの??」
「いや、わたしの車がこの車の後ろをかすったんですよ」
体にはなんの振動も感じなかったから、
「えっ、そんなことないでしょっ?」
と答えたら、親切にも、その男性は、
「ここ」
と指さした。みれば、たしかに、左後隅のボディにかすかな傷が付いている。
「あ~ぁっ」
と思わず叫んでしまった。
わたしの車は駐車のラインからはみ出していないので、かりに微動していたとしても、こちらに責はない。あきらかに、相手の前方不注意だから、
「前方不注意ですよね?」
と確認したら、
「そうです」
とかれは答えた。その人物があまりに誠実だったもので、名刺交換しただけで分かれたのだが、もうちょっとキチンと処理しなきゃいけなかったのではないか、と少し反省している。
そうこうしているうちに、携帯電話がじゃんじゃんなり始めた。たまたま吹田から大渋滞に巻き込まれて車がまったく動かなくなったので、電話しなおすと、訃報である。しかも、学生の訃報だ。93歳の父は元気になり、20歳の学生が生命を失った。しばらくして、今度は同僚のご令室の訃報まで舞い込んだ。諸行無常のクリスマス・イブ。
これから弔電を打つ。
謹んでお二人のご冥福をお祈り申し上げます。
- 2005/12/24(土) 20:08:47|
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