守白ART ベトナム料理の店をでて、対面のギャラリーに足を踏み入れた。そこは、李守白という画家の絵だけを集めたギャラリーで、わたしの触覚をひどく刺激した。テーマは「里弄」そのものであり、石庫門住宅や路地の風景、あるいはそこで生活する女たちを描く絵が何種類も展示してある。生真面目を絵に描いたような女性店員が、わたしに寄り添って細かな説明をしてくれる。キャンバスに描かれた、肌も露わな女性たちはみな画家の「情婦」であると、かぼそい声で彼女は言った。「情婦」とは愛人のことである。ややこしいことに、中国語で「愛人」と書くと「妻」の意になる。ただし、これは中国共産党政権誕生後にできた言葉で、生活用語としての「家内」「奥さん」は「太々(タイタイ)」もしくは「老婆(ラオポー)」という。「情婦」のことをふざけて「小老婆(シャオラオポー)」と呼ぶこともある。

この画家の絵をとても気に入った。ただ、一軒目のギャラリーだったので即買いは控え、路地歩きを進めることにした。迷路のような「弄」をうろうろしていると、いつしか家屋番号18の店に行き着き、中をのぞいたところで、さきほどの初老オーナーがまたあらわれた。互いに軽く自己紹介をした。かれは台湾の投資家で、すでに8つの店舗を田子坊に構えている。相当なやり手のようだ。
そこで、
「一店舗、売ってくれませんか?」
とお願いしたら、
「本気なの!?」
と驚いた顔をした。「えぇ。本気ですよ。お金はあります(本当はないけど)」と真顔で答えると、
「それじゃ、一緒に経営しましょう。ここにまだまだ新しい店を開く予定
ですから」
とくる。で、とりあえず、名刺交換・・・はしなかった。儲かる店を手放すほど甘い人物ではないことぐらい、十分わかっている。そして、
「38番がいい。あの店はよくできているので行ってみて。イタリアン・
カフェだよ」
と話をはぐらかせた。うまいこと逃げる。


まぁ、指示に従ってみよう。
迷路を逆戻りして、家屋番号38番のカフェに入った。たしかに、インテリアが凝っている。まだ客はいなかったので、1階(前頁上)・2階(同下)をくまなく撮影し、その後、アイリッシュ・コーヒーを注文した。
おかげで、時間を消耗した。12時半にはホテルに戻って上海南駅まで移動し、13時ころのリムジンバスに乗らなくてはいけない。心残りは、あの画家の絵だ。迷路のような路地を彷徨いながら、なんとかギャラリー(4号-2↑)を探し出し、絵を3葉買った。絵はがきと切り絵(↓)も買った。
そのギャラリーは「上海守白文化芸術有限公司」という。ここに含まれる「守白」の二文字は、もちろん李守白の名前だが、中国語の音声は「ショウバイ」であり、日本語の「商売」に通じるところがおもしろい。店の略称は「Shoubai Art」としており、あるいは日本人がオーナーの系列店かもしれないと勘ぐりたくなる。じっさい田子坊には、札幌ラーメンや寿司などの日本レストランも少なくなく、日本の実業家がすでに相当の投資をしているように思われた。これらが、かの台湾投資家の店だとしたら、ひっくりかえるけどね・・・
上海で、日本人も負けないでほしい。できれば、冗談じゃなく、自ら1店舗もちたいぐらいだよね。

こうして田子坊を歩きながら、平田に想いを馳せていた。地元の方がたが「芸術家を招聘できないものか」と発言していたことが頭を掠めたのである。たしかに、木綿街道を芸術家の集住区にするのはおもしろい発想だと思う。旧石橋酒造のような建物は、酒蔵をアトリエ(工房)にもできるし、ギャラリーにもできる。数名の芸術家が木綿街道の町家・蔵で活動し、ギャラリーで作品を売る。その周辺の町家はショップやレストランにリノベーションする。こういう展開になれば、活力ある町に生まれ変わるだろう。出雲大社と鰐淵寺と松江を連結する宍道湖北岸の結節点となるかもしれない。
ただし、この種の提案をする場合、高見の見物というわけにはいかない。自分たちも骨身を削って行動しなければ信頼感はうまれませんよね。たとえば、魯班営造学社のアトリエを街道に置くとか、念願の「ギターラ」を開店するとか・・・そういう係わり方をしない限り、住む方がたのシンパシーを得られないだろうと思うのである。
言うは易く、行うは難し。しかし、夢見るのは楽しい。(完)
Mr.リズムはギターをほぼ水平にもっていますね。貴重な映像です。
- 2011/04/04(月) 14:18:31|
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