チェンマイの寺院を参拝してまわった。
ワット・プラタート・ドイ・ステープは、おそらく「仏舎利塔寺」と和訳できるお寺で、山頂近くに境内を構える。仏舎利を埋納するパゴダ(日本人の目からみればストゥーパだが、タイ人の案内人はパゴダと英訳した。タイ語ではチェディ)を仏堂が四方から囲む平面で、飛鳥寺型の伽藍配置に近い。仏舎利=仏塔を仏堂=仏像が荘厳するマンダラ的な空間構成である。

ここで老僧に供物を奉納した。托鉢に近い行為を仏堂のなかでおこなう儀式である。まずは、仏堂の中央に鎮座する仏像に跪拝する。礼拝は必ず3度くりかえす。跪まづいたまま、脇の椅子にお座りになる老僧のほうを向いて供物を捧げ、跪拝したまま説法を聞く。僧は説法後、木枝につけた聖水ナンモンを跪拝者の体にふりかける。これは跪拝者を浄め、祝福する意味がある。最後に、僧は跪拝者の手首に白い聖糸サイシンを結びつけて、その糸を鋏で切る。サイシンはサッカー選手がつけるミサンガに似ている。お守りの一種で、儀礼後、3日間ほど手首につけておくという。跪拝者が女子の場合、僧は女子からの供物を直接受けとれない。黄色い布を前に垂らし、女子は布の上に供物を置く。布に置かれた供物を僧は受け取る。サイシンもあらかじめ短く切っておき、地面に落とすだけ。女子は、自らサイシンを手首に巻く。僧は女性との接触を禁じられているのである。

チェンマイの山寺にいるあいだ、ずっと道元のことを考えていた。修行=座禅の場として、山林以上のところはない。寺院ではなく、山林こそが、身心脱落の境致にふさわしい場所であり、環境である。宗教組織の体制化にともなう伽藍の整備が、しばしば宗教の世俗化と頽廃を招く。言い換えるならば、建築はときに組織と人間を腐敗に導く。

それでは、サービスショットを1枚。
- 2005/12/28(水) 23:25:54|
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