昨日報告した科学研究費の成果が高い評価をうけ、摩尼寺「奥の院」遺跡に係わる新しい研究が鳥取県環境学術研究振興事業費補助金研究に新規採択されました。平成23年度のみの単年度研究です(2250千円)。一般に審査委員の評価は辛口であることが多いのですが、以下のように非常に好意的なコメントをいただいております。
・世界遺産登録推進に向けての基礎研究であり、ニーズも高く、研究成果が
十分見込まれる。
・鳥取県の歴史遺産の資料整備と、それによる地域振興の視点で公益性が
高いと考える。
・研究目標の達成に期待する。
・山深い場所における宗教の自然観は、グリーンニューディールの根幹に
ある自然と調和したエネルギーシステムの根幹につながるといえる。
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研究課題名: 摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究
研究代表者: 浅川 滋男
研究課題の必要性 鳥取県は「三徳山を世界遺産に!」をモットーに活動を続けているが、県が文化庁に申請した「三徳山 -信仰の山と文化的景観-」(2006-07)の評価はきわめて低く、「信仰の山の文化的景観として顕著な普遍的価値の証明が不十分」であり、「国内外の同種資産との比較研究を進め、適切な主題設定や資産構成について検討すること」を求められている。申請者は、この閉塞的状況を打開するため、2009年度鳥取県環境学術研究費助成研究「文化的景観の解釈と応用による地域保全手法の検討」によって国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-」を開催した。そこでの結論は、三徳山だけでなく、対象範囲を大山・隠岐国立公園や山陰各地の密教系諸山にひろげ、とくに「奥の院」の考古学的研究と国内外の比較研究を進めるべきというものである。
シンポジウムの成果は、2010年度科学研究費補助金基盤研究Cに採択された「石窟寺院への憧憬 ―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―」に継承され、初年度(2010)はわずか200万円の研究費ながら、摩尼寺「奥の院」遺跡(鳥取市覚寺)の発掘調査をおこなった。県内外を問わず、密教寺院の「奥の院」に考古学的なメスが入れられることはほとんどなく、摩尼寺における発掘調査はきわめて意義深いものであるが、初年度の調査で十分な成果が得られたとは言えない。その問題点を克服するために、県環境学術研究費による摩尼寺「奥の院」の継続的調査研究を申請するものである。摩尼寺「奥の院」の歴史を考古学・環境学的にあきらかにすることは、摩尼寺にとどまらず、鳥取及び山陰地域の密教諸山における「奥の院」の歴史の解明に貢献し、鳥取県の世界遺産申請の枠組を再編成するきっかけを与えるものと確信している。
真打ちの後は、やっぱり真打ちで行きましょう。
研究内容 2010年度、摩尼寺「奥の院」の発掘調査は4区で約200㎡おこなった。8月から11月の約4ヶ月間調査を続け、その後、遺構と遺物の研究、および上層遺構の建物復元に取り組んできたが、調査研究そのものが十分ではなく、とりわけ遺跡の自然科学的分析がまったく進んでいない。そこで、以下のような環境考古学的な調査研究を計画している。
1)遺跡のボーリング調査: 現在、遺跡の土層関係は地表面下約1.1~1.2m程度までしか確認できておらず、とくに地山(無遺物層=自然堆積層)が確認できていないところに大きな問題がある。これは人力による手掘り掘削の限界を示すものであり、2011年度はボーリング調査を数カ所おこない、地表面下2m+αの地層を確認し、遺跡の生成過程をあきらかにする。
2)花粉分析: 各文化層で採取したサンプル土を花粉分析し、平安時代(下層)および室町時代(上層)の植生を復元的に考察する。【サンプル採取済】
3)放射性炭素年代測定: 遺跡のところどころで検出された炭化木製品の放射性炭素年代を測定し、上層遺構と下層遺構の存続年代をあきらかにする。【サンプル採取済】
4)岩石鑑定: 礎石など遺跡を構成する岩石のサンプルを採取し、その産地同定を試みる。
5)復元模型の制作: 初年度は建造物単体の復元に着手し、作図とCGを完成させた。第2年度は地形との関係を含めて、適当なスケールで復元模型を制作する。
6)研究会の開催: 2年間に及ぶ発掘調査、環境考古学データの分析や復元研究に係わる研究会を開催する。その会では、鳥取県の世界遺産構想の枠組の再編や密教遺産群の文化的景観やグリーンツーリズムのあり方についても討議する。
7)データ分析と報告書の作成: 初年度~2年度の調査で得たデータを多面的に分析し、研究会の成果も含めて、報告書を編集・刊行する。考古学的研究の成果報告書と文化的景観保全・世界遺産構想の報告書の2冊に分けて刊行したい。
期待される研究成果 これまで鳥取県は、単純に三徳山三仏寺投入堂にだけ目をむけて、その価値のみを強調してきたきらいがあるけれども、三仏寺においてすら修行場としての「奥の院」の起源や歴史的展開があきらかになっていない。大山をはじめとする類似資産においても同様の状況であった。今回、わたしたちが学術振興会より科研費を得て、大学に近い摩尼寺「奥の院」の発掘調査に携わったことにより、山陰地域における密教寺院「奥の院」の様相が初めて考古学的にあきらかになりつつある。この成果は学術上きわめて重要なものではあるけれども、現状のままでは考古学的データに基づく実証性が不十分であり、本申請研究により、その科学的実証性をおおいに高めることができるであろう。
繰り返すけれども、本研究はひとり摩尼寺「奥の院」に限定される研究ではなく、鳥取及び山陰地域の「奥の院」研究の端緒となるものであり、文化庁が要求している鳥取県の世界遺産構想の主題と範囲の見直しの学術基礎となるデータを提供するものである。
また、2008~09年度に取り組んだ「文化的景観」に関する研究の総仕上げとなるものでもあり、過疎地域や山岳信仰エリアにおける地域おこしと「文化的景観」制度の関係を見直す有力な研究課題となることが期待される。
本研究は、「古環境の復元」という環境学的学術研究に貢献すると同時に、過疎地の地域振興に寄与する点に特徴がある。
- 2011/05/29(日) 00:31:23|
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