おちらと木綿街道 & city switch 2011 Izumo 5月29日。いよいよ木綿街道一大イベント「おちらと木綿街道」の開催です。天候は、あいにくの雨模様。しかも台風が近づいているということで、風も吹きすさぶコンディション。なんでも、昨年の同イベントも悪天候だったようで、振興会の方がたは雨男(女?)の犯人探しで盛り上がっておられました。じつは、同行した匠君もみずから名乗り出るほどの雨男なんだそうですが、そこは黙っておくことに・・・
さて、この「おちらと木綿街道」は、前夜祭の報告にも書きましたように、木綿街道の認知度を高め、雲州平田特有の価値ある町並み景観の保存の必要性をアピールすることを目的としたイベントです。
10回目となる今回は、50組以上の団体・店舗により屋台の出店やイベントの催しが企画されています。イベントの拠点施設となったのはもちろん「旧石橋酒造」。前夜祭の会場にもなりましたが、今日はミセ部分でカフェの営業(↓)・ミニライブの開催・東日本災害活動写真展示。中庭では、平田うどんと出雲蕎麦の販売。さらに、前夜祭に活用された酒蔵ゾーンでは、バンド数組のライブや地元の画家によるギャラリー。それぞれゾーンごとに交流(ミセ)・飲食(中庭)・アート(酒蔵)の用途に区分されています。
街道筋では、新町・片原町・宮ノ町にまたがって屋台や出店が軒を連ね、来場者でにぎわっていました。あいにくの天候ではあったものの、町家のミセ部分が利用されているため、安心して散策する事ができます。以前の記事でも書きましたが、街道内の町家の多くは商売をやめてからミセ部分を車庫に改修しており、店舗としての機能は果たしていません。おそらく、今回のイベントのために住民の方がスペースを提供したのでしょう。おかげで、かつての商家町の賑わいを感じられるとともに、地元をあげてのイベントであることを認識させられました。
↑ギャラリー ↓復活したミセ(次ページ冒頭写真も)
また、石橋酒造のミセ部分では「おちらと木綿街道」とあわせて「city switch 2011 Izumo」の一環で、学生によるワークショップも開催。その手法は、来場者にアンケートを配り、石橋酒造をどのように利用したいかを考えてもらうというもの。アンケートに貼ってある付箋に回答し、それを石橋酒造のいろいろなスペースを撮影した写真を掲示した壁に、それぞれ活用したいと思った場所に付箋を貼っていきます(↓↓)。
本来、ワークショップといえばグループワーキングのようなものを想像してしまいがちですが、このようなやり方もあるんですね。この場合、煮詰まった意見が出ないかもしれませんが、幅広い年齢層や出身地の人たちから意見を得ることができるため、今回の「おちらと木綿街道」のような集客が見込まれるイベントに併せて行う手法としては有効かもしれません。
私と匠君も、このワークショップのスタッフとしても参加しましたが、アンケートをお願いしながら、来場者と話をすることができました。県内外問わず木綿街道に対して好意的な印象を抱いている方が多かったのですが、なかには厳しい意見も。地元小学生や高校生とも交流することができ、またひとつ、「ひらた」を知る事ができたと感じています。
city switchは今年3回催されるそうで、次回は7月に行われます。本業である町並み調査も控えているため、今回のように係わることができるかわかりませんが、city switch事務局の方とお話しする機会があり、ちょっと構想を練り上げているところです。学生同士の交流は、とくに鳥取のような地方大学で学ぶ学生にとって貴重な機会。ぜひ、ほかの学生も積極的に参加してほしいですね。
また、福島へ贈る「復興の行灯」の制作に携われた地元建築設計事務所の若手所員の方がたからも、励ましの言葉をいただきました。こちらも今後、何かのかたちで協働できれば、おもしろいなと思っています!
今後につながる、良い出会いに恵まれた2日間。どの方も仰っていたのは、継続することの大切さです。「おちらと木綿街道」は今年で11回目を迎えました。お手伝いとして微力ながら参加した私も、企画や運営など舞台裏での膨大な労力に驚かされます。しかし、振興会の方がたを中心に活動を継続してきたからこそ、先の前夜祭で市長に「地域の皆さんの努力が報われた」と言わしめたんではないでしょうか。ここに至るまでの振興会ほか地元住民の方がたの努力は並大抵のものではなかったでしょう。私自身、まだ「木綿街道」に関わって間もないですが、これまで地元の方がたが築きあげてきた礎を胸に潜めて調査研究に励むとともに、多方面から木綿街道について継続的に関わっていく決意を心に誓ったしだいです。(タクヲ)
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2011/06/07(火) 00:32:43 |
景観 |
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