4月のある水曜日、1年生2名のインタビューをうけた。入学したばかりの1年生に「取材」なんてことができるのであろうか。立花隆の『
二十歳のころ』のような内容ならまだしも、学者の研究業績について聞くというのだ・・・わたしは学生の質問を受けるようなふりをして、じつは自問自答のようにレコーダーの前で話し続けた。
一昨日の深夜、インタビューのゲラが送信されてきた。予想されたことではあるけれども、テープを記録しただけの原稿である。テープ起こしの文章を、人さまが読んで恥ずかしくないレベルに引き上げるには、大変なエネルギーが要る。能力も要る・・・というわけで、いつものことながら、またしても「校正マシーン」と化して一夜をすごした。公開されるとはいえ、あまり人目に触れる原稿ではなさそうなので、ここに掲載しておきます。
骨董の艶光り -現代人がなくした「文化」の魅力--先生がこの道に進んだきっかけはなんだったのですか?
ぼくは建築学科を出たんだけど、現代建築に対してずっと懐疑的でしてね。大学院に入って海外で民族学的なフィールドワークに手を染め、「文化としての建築」を考えるようになりました。30歳でようやく就職して、奈良の国立文化財研究所で14年間発掘調査に従事したんです。このころはむしろ考古学・古代史の文脈で建築を考えていた。つねに「文化としての住居・集落・都市」ということが研究の主題としてあって、こういう研究者は新しい建築物を創るよりも、歴史的建造物や文化的景観の保全に視野がむいていくのは当然のことでしょうね。
--先生は鳥取県で古民家の修復に携わってこられましたが、修復する上で「ローコスト」というテーマを掲げておられます。これについてご説明ください。
民家とか社寺建築の修復にはとんでもない費用がかかるんです。本格的な修復工事をすると、建物を新築するよりもはるかに高くつく。だから、「コストを抑えますので」と言って説得しないと、居住者・所有者は民家の保全改修を受け入れないんです。「新しい建物に建てかえたほうがましだ」と思ってしまうんですね。だから、わたしたちが言う「ローコスト」とは、「新築にかかる経費とほぼかわらない程度の額」ということでして、ものすごく安上がりなわけじゃありません。文化財価値の高い建造物の場合、高くついても、特別の方法を採用せざるをえない場合もあります。それになにより、所有者の意志を尊重しないといけませんね、所有者の要求が変われば、修復の方法も変わってきます。
--先生が修復された民家の代表作としては、鳥取市の登録文化財「加藤家住宅」がよく知られていますが、加藤家住宅の魅力を教えてください。
加藤家は鳥取藩医の家柄で、倭文(しとり)の古民家はその実家にあたる建造物です。建築年代は1730年以前とみています。その根拠は一間ごとに柱を立てる平面形式とチョウナ(手斧)削りしている柱が多く残っていること。江戸時代も中期になると、台鉋(ダイガンナ)が普及してきて木材の表面をすべすべに加工できるのですが、加藤家住宅の主要な柱には手斧削りの痕跡が残っていて、ひょっとしたら建立は17世紀に遡るかもしれません。17世紀だとしたら重要文化財クラスの民家だと言えます。そういう手斧削りの古材というのは得もいわれぬ艶光りの触感がありましてね。まさに「骨董品の風貌」をもっています。空間的には、なんといっても座敷と庭の一体感が素晴らしい。あの心地よさは日本建築でなければ味わえないものです。住まいの中に「自然」を取り込んでいるような快感があります。

--鳥取県には古民家に詳しい建築家はいないのですか?
鳥取に限らず、日本全国にいっぱい一級建築士がいますが、民家や社寺などの歴史的建造物の構造・意匠をよく知っていて、それを新しい建築設計にいかせる建築家は残念ながら多くはないですね。この不況の時代に、新しい住まいを建てるのは難しいことです。だから、古くからあるものを、その良さを引き継いで改修していく仕事が重要になってくる。歴史的建造物の修復技術と新しい建築技術の融合が必要な時代になってきているので、おそらくこれから、古建築の修復技術を学ぶ建築デザイナーも増えていくでしょう。
--ぼくらの考えでは、新しいものが次々にでてくると便利だな、と思っているのですが。
21世紀は「情報産業化の時代」でして、そういう最先端技術にもついていかなきゃなんないわけですが、その一方で、農業とか職人技術とか歴史文化などの持続的な発展というか育成が非常に重要な意味をもつ時代だと思っています。新しいものが生まれるから、昔から存続しているものを廃棄していくというのではなくて、その両者が併存し、ともに発展していくような道筋を探していかないとね。未来にむけての進歩というのは、そうでなくてはいけない。
--たしかにそうですね。では、先生が鳥取県の建築や集落でお気に入りのものはありますか。
いっぱいありますよ。たとえば、平家の落人伝説で有名な智頭町の板井原は、すでに「限界集落」化していますが、県の伝統的建造物群保存地区に選定されていて、古き良き因幡の山里の面影をよく残しています。
--その「限界集落」が文化的景観を利用して、再生した例はありますか。
ないから頑張っているわけですよ。「文化的景観」とは自然と文化の融合作品なんですが、鳥取県みたいな過疎地の山間地域や中山間地域には、質の高い「文化的景観」がよく残っている。過疎が進んで、大規模な開発に晒されていないため、江戸~明治以来の田畑、山林、民家集落などの風景があちこちにみられるわけですが、最近の文化財保護法は、そういう一連の「景観」をも保護の対象に加えています。そういう制度をうまく使って過疎地の振興に貢献できないものか、と思って「文化的景観」の調査研究を進めているところなんです。鳥取県で最大の社会問題は「環境問題」じゃなくて、「過疎と高齢化」だと思っていましてね。空洞化した地域にどうやって活力をもたらすか、あれこれ考えているところです。
--では、最後に歴史的な建造物や集落をこれから守っていくためには、どうすればよいでしょうか。
鳥取のような地域に住んでいる人にとっては、文化的な遺産や景観は「空気」のようなものでしてね。存在して当たり前だし、生活と結びついているから、それが「文化財価値の高いもの」だと言われてもピンと来ない。あちこち調査して「これは良いものですよ」と説明しても、「そがいなもんですかいな?」なんて反応はしょっちゅう頂戴します。ところが、他県の都市部からやってくる人たちは、その「空気」のような文化遺産や景観に接して感動する。自分たちがなくしたモノをちゃんと大事に保存している、という事実に驚くわけです。 だから、わたしはね、文化遺産や歴史的環境の保全に対する意識を庶民レベルで向上させることが重要だと思っています。逆に言うと、文化財保護に対する啓蒙・教育を進める必要があるということでしょうかね。
--ありがとうございました。
- 2011/07/14(木) 00:00:42|
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