本年(2011)5月25日、福岡県飯塚市(旧笠松村)出身の画家、山本作兵衛が描き残した筑豊炭田の記録画等697点が「世界記憶遺産」に登録された。200件ちかい世界記憶遺産に、日本の記録が登録されるのは初めてのことであり、それは「なでしこJAPAN」の世界制覇に匹敵する快挙といえるだろう。 世界記憶遺産(Memory of the World)とは、危機に瀕した歴史的記録を保全し、研究者や一般人にひろく公開することを目的としたユネスコの事業である。より具体的には、楽譜、書物、絵画などの記録物を後世に伝えることを企図しており、1997年から2年ごとに登録事業をおこなっている。世界遺産(WorldHeritage)、世界無形遺産(Masterpiece of the Oral and Intangible of Humanity)とならぶユネスコの三大遺産事業の一つと言われるが、毀損されたり、永遠に消滅する危機に瀕している記録の救済を目的とするため、すでに国内で資料のデジタル化や公開がなされているものは世界記憶遺産の対象とならない。 山本作兵衛(1892-1984)は7歳の時から父親に従って炭鉱に入り、以来、筑豊各地の中小炭鉱で働きながら、日記や手帳に記録を残した。石炭産業に陰りの見え始めた戦後、63歳の時から絵筆を取って明治末~戦後の炭鉱生活を描くようになり、92歳で亡くなるまでに約2000枚の水彩画・墨画を仕上げている。うち1000点余りの絵画や日記を遺族らが田川市と福岡県立大学に寄贈しており、2009年に目黒区美術館で開催された「‘文化’資源としての<炭鉱>展」にその一部が出品され、再評価の気運が高まった。田川市と県立大は2010年3月、作兵衛の絵画589点、日記65点など計697点をユネスコの世界記憶遺産に申請し、その1年2ヶ月後にみごと登録をはたしたのである。「日本の産業近代化の中で重要な拠点となった筑豊炭田の重要性と、労働者個人による良質な記録性」が高く評価されたという。 問題は日本政府の動きだが、ながく記憶遺産事業には無関心であり、本年5月11日、ようやく『御堂関白記』と『慶長遣欧使節関係資料』の推薦を決定し、2013年の登録をめざしていた。ところで、記憶遺産は、世界遺産とちがって国際条約ではないため、自治体等が国を介さず登録申請できる。田川市と県立大学の申請は、政府の動きとはまったく無縁であり、むしろ政府と距離をおくことで成功をおさめた希有の例と言えるだろう。作兵衛の残した絵画や日記は文化財に指定されていない。文化庁経由では申請すらできなかったと言われている。つまり、国内での評価が低く、保全のための適切な支援をうけていない、ということである。そういう現実が「毀損されたり、永遠に消滅する危機に瀕している記録」としての評価の一助となったとすれば、こんなに皮肉なことはないだろう。 それにしても、心配になる。国が推薦する『御堂関白記』と『慶長遣欧使節関係資料』は世界記憶遺産に登録されるのであろうか。いずれも国宝に指定されており、資料化や公開化は国内で十分なしうるではないか。とすれば、世界記憶遺産本来の趣旨とはかけ離れた文字記録でありはしないか。