町家の調査(1) 8月9日(月)・10日(火)にかけて、平田で町家を調査しました。これまでは建物外観の予備的悉皆調査や古写真・文献資料の収集、連続立面図作成用の写真撮影などをおこなってきましたが、今回から本格的に町家の調査(実測)に移行しました。これから秋にかけて何度か平田に通い、いくつかの類型を代表する町家を調査する予定です。
今回は、平入長屋型でカケダシの残るSa邸(片原町)と切妻妻入町家のSh邸(中町)の2棟を調査しました。調査メンバーは実測経験が少ない学生がほとんどで、前日のワークショップから平田入りしている匠&キム3号も戦々恐々・・・いま、無事に予定通り調査を終えられたことにホッとしております。
Sa邸(片原町) Sa邸は片原町の街道南側に位置している。片原町については、「木綿街道のこと(Ⅳ)」で報告しているとおり、もとは街道の片側(南側)が原っぱであったことに地名の由来がある。聞き取りによれば、南側に家が建つのは安政四年(1857)以降で、それまでは、北側にしか家並みがなかったとのことである。悉皆調査での聞き取りでも、これを遡る建築年代のものはなく、建物外観からも江戸末期に下るような要素はみられなかった。ほかに、建築年代に関わる史実としては明治九年(1876)の「片原大火」があり、26棟もの建物が焼失したという。


Sa邸は切妻平入形式の三棟長屋(↑)だが、現在は三軒全てS氏の所有になっている。先代までが大工であったことから、内部の改修は少なくない。とくに、戦前に「小屋上げ」をしており、ツシ二階から高二階になったことで外観は大きく変化している。間口七間半(二間半×3)奥行六間で、主な居住空間となっている東側の1棟は地下(カケダシ)へ降りる階段が備わっており、聞き取り等により当初の平面を確認できた。西側に一間幅の通り庭が配され、カケダシへ通じる階段へ連絡する。東側一間半は、前からドマと、続き間となる2部屋が一列に配置する。要は居住空間となる二部屋をL字型のドマ囲まれた平面となる。これは、翌日調査した切妻妻入町家(間口二間半)で原型を確認できたことから、平田の町家平面に共有される重要な特徴となるかもしれない。ちなみに現在は、前面のドマを玄関と上がり間、走り庭をトイレ・台所の水場としている。

カケダシ(↑)には今も利用する風呂がみられる。以前はどの家のカケダシにも風呂が設けられていたが、現在はSa邸のみとのことだ。また、井戸も備わっており、「船川に面した生活空間」としてのカケダシを実感できる稀少な例だろう。
小屋組は「束立ち」で軒桁よりも上のレベルに横架材はみられない。これは3階(屋根裏)を「クラ」と呼んで収納の空間としていることから、小屋の空間を少しでも有効に活用するための工夫ともみられる。
外観については、前述したように高2階に改装されているが、壁材や建具を周辺町家のデザインソースを用いて修景すれば、明治の長屋群らしい姿を取り戻すだろう。(続/タクヲ)

↑ワークショップに参加した首都大学院のTくんも実測を補助してくれました。
- 2011/08/13(土) 03:46:50|
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