
いったん治ったはずの夏風邪がぶりかえしてきて、どうも具合がわるい。盆もあけたので、さっそくホームドクターを訪ねてみたのだが、金曜日にならないと医院は再開しないことが分かった。仕方ないので、薬局で風邪薬を買った(2度目だ)。
そうそう、「
おまえなしでは生きていけない」シリーズの再放送をやっていますね。よほど好評だったのでしょう。夏休みに入ってからも何度か録画をみたんですが、この番組を流すと、一家がソファに根付いてくれます。お茶の時間は、猫の動画に限りますね。わたしはさらに調子にのって、猫をテーマにしたプロジェクト研究を後期に立ち上げようと企んでおります。すでに、何冊か書籍も集めてまして、ラオスとミャンマーでぼちぼち読み始める予定です。
「家族と側近が語る周恩来」という番組の録画もよく視ています。やはりBSプレミアムの4回シリーズ。もし周恩来がいなかったら、あるいは周恩来が毛沢東に反旗を翻していたら、中華人民共和国はどうなっていたでしょうか。あの時代に周恩来という人物がいたことで、中国は国家としての命脈をたもった。それが、今日の繁栄の礎になったわけです。わたしが中国に留学していたのは1982~84年ですから、周恩来と毛沢東が亡くなって6年後に中国に渡ったわけですが、この番組をみて、ようやく80年代前半の歴史を客観的にふりかえることができるようになったような気がしました。あのころの留学生はみな不満だらけで暴発寸前でしたが、中国側からみれば、文革より1000倍ましな時代だったということでしょうね。
とてもタフな2年間でした。でも、いろんな意味で、今の中国ほどひどくはなかった。周恩来も小平も反日教育などしていない(と思いたい)。「中日友好」が基本でした。おかしくなったのは、江沢民からでしょう。反日暴動を扇動したり、日本代表チームに対してペットボトルなどを投げつけたり・・・80年代から90年代前半、そのようなことを中国はしなかった。いつか書いたと思いますが、日本が初めてダイナスティカップを制した92年、中国は0-2で圧倒された日本代表に対して拍手を送っていたんですよ。
職場を変えてから、8年ばかり完全撤退していた中国に少しずつ通うようになっているこのごろ・・・自分の残された時間のなかで、中国と積極的に関わるべきか、離れたままでいるべきか・・・悩ましいところです。

ギターもぼちぼちです。新しい曲に挑む余裕はないから、こういうかつて練習した曲をきっちり弾けるようにすることを目標にするしかありませんね。数曲できます。どこでも弾きますよ。
- 2011/08/18(木) 04:32:37|
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