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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

ルアンプラバンの夢(Ⅴ)

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世界文化遺産ルアンプラバン

 ルアンプラバンはラーンサーン王朝の王都として出発し、18世紀以降の三国鼎立時代にもルアンプラバン王朝の王都であり続けた。王都とは、すなわち都城のことであるが、ルアンプラバンは都城と呼ぶにはあまりに小振りな「まち」である。日本の都市と同じように、城壁や環濠はない。中国の用語で比較するならば、「城」というよりも「鎮」であり、卑近な例をあげるならば、規模や街割は若桜の中世城下町を彷彿とさせる。中心となるのは王宮(現国立博物館)であるけれども、北京の紫禁城やタイの王宮と比べればはるかに小さく、またしても卑近な例との比較になるが、王宮の規模は仁風閣数棟分といったところだろうか。町に寺院は多い。旧市街地ではシェントーン寺、マイ寺、セーン寺、ビスンナラート寺などの古刹が有名であり、毎朝夜明けとともに、すべての寺院の僧が隊をなして街を練り歩き、托鉢をおこなう。郊外の景観は、メコン川と山嶺と水田と高床住居集落で構成され、熱帯ではあるけれども、日本の山村風景とどこか似ている。

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 ルアンプラバンが世界文化遺産になったのは1996年のことである。仏教遺産と植民地遺産の融合を評価されての登録であった。98年に世界遺産登録の祝賀セレモニーが開催され、実際に観光地として機能し始めたのは2000年ころからだというから、観光地としてのデビューからまだ10年あまりしか経っていない。なんのことはない、環境大学の歴史と重なっているではないか。正直なところ、アンコール遺跡群とか、タイのスコータイやアユタヤなどと比較すれば、派手さはない。が、仏教遺産とフランスの匂いの強い洋館の連続した街には独特の魅力がある。どちらかと言えば、ホイアンなどの町並み系世界遺産と近い雰囲気があり、洋館をリニューアルしたレストラン、ショップ、ゲストハウスに国外からの観光客が押し寄せている。
 文明の周縁に咲いた一輪の花のような落ち着きがルアンプラバンにはある。田舎で、素朴な美人を発見したような喜びを感じる場所である。多くの日本人は、この町と地域に親近感をおぼえるだろう。 

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  1. 2011/09/04(日) 14:46:36|
  2. 景観|
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