ぜんざい雑煮に関する歴史民族学的研究 ルアンプラバンに着いてすぐ、「ラオスはモチゴメばかりで、普通のお米は食べません」という伝達がガイドさんよりあり、直後の昼食からずっと竹編み籠に入った赤米を食べ続けた。できたての赤米はやわらかくて美味しいが、冷えると固くなって、いくぶん食べにくくなる。でも、美味しいご飯であることはまちがいない。
ラオス料理はタイ料理と似ているが、タイ料理よりも素朴で、日本人の口にあう。そう思って、感想をガイドさんに伝えたところ、「唐辛子がほんとはもっと多くて辛いんですよ」と諭された。外国人向けの料理店で、日本人にあう味付けをしてもらったということだろう。タイ料理は大好物で、辛(から)いのは辛(つら)くはないのだが、胃腸は正直に反応する。早晩、活火山と化すので、それからが苦しい。

最初のレストランからずっと赤米を食べ続けたので、ラオスの主食は赤いモチゴメなのか、と思っていたが、帰国前夜、ラオス人向け「山羊の焼肉屋さん」では白いモチゴメがでてきた(これを手で食べる)。翌朝の托鉢で僧侶に捧げた米も白かった。僧侶が抱える托鉢用の鉢には白いモチゴメが入っているのだが、お寺側からすると、米ではないほうがよいらしい。米は腐りやすい。その日のうちに食べるしかない。カップラーメンやビスケットなら保存食になって、長持ちする。とくに外国人はモチゴメでないほうがよいという。道にたむろする売人が売りつける粽は、だいたい食べ残しの米を暖めなおしたもので、いたんでいる可能性が高いというのだ。
ラオスの人びとが普段食べているのは、白米である。白いモチゴメということ。赤米は目出度いときに食べる特別な米であり、外国人向けのレストランでは、いつでも目出度い赤飯を提供している、というわけだ。


托鉢のあと、朝市に行った。なんでもある。雷魚もいれば、食用ガエルのめざしもあるし、川海苔も売っている。もちろん米もある。ごらんのとおり、白米5:1赤米ぐらいの割合で売っている。わたしたちが、日本で雑穀米や古代米を食べるとき、白米(ウルチ)に雑穀・赤米を少々混ぜる。それで、ふわふわの赤飯ができる。わたしはそれにジャコも混ぜる。このジャコ飯が学生に評判良く、匠くんなどは平気でどんぶり3杯は食べてくれる。ジャコ飯に、カブラ菜の赤出汁でもあれば、もう箸がとまらない。
ラオスでも白米と赤米を混ぜるのだろうと推定していたのだが、赤米の玄米をみると斑に色がついている。おそらく白米と赤米を混ぜるのではなく、赤いモチゴメだけを焚いて赤飯とするのだろう。

日本では、いつごろからか、赤米が消え失せ、小豆(あずき)がその代用品となった。白いモチゴメに小豆を足して蒸すと、美味しい赤飯ができあがる。また、小豆を水で煮込んで、砂糖を加えると「ぜんざい」ができる。この「ぜんざい」の起源が、赤米の雑炊であろうとかつて述べたことがある。あれは、2007年度後期のプロジェクト研究2&4「
歩け、あるけ、アルケオロジー」で弥生土器を野焼きで作ったときのことだ。発表会では、土器で「八雲立つ風土記の丘」産の古代米を煮た。ご飯ではなく、お粥ができたのだが、そのみてくれがあまりに「ぜんざい」に似ているので、これこそが「ぜんざい」の起源だとの思いを強くした。そのままだと甘くないが、砂糖を足せばよいのである。じっさい、南方中国には「八宝飯」など色づけした米を甘くして食べる習慣がいまも残っている。
鳥取県の雑煮が「ぜんざい」であるのは、古代における赤米食の名残であろうとわたしは一人勝手に思っている。赤米粥(赤いモチゴメの雑炊)に白い餅を放り込んだメニューを、目出度いときに食べたのだろう。赤米がなくなってからは、小豆でそれを代用したのだ。だから、鳥取の「ぜんざい雑煮」は弥生時代の食文化を受け継いでいると言ってもよいのである。
- 2011/09/07(水) 23:57:44|
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