町家の調査(3) 8月29日(月)から31日(水)にかけての3日間、木綿街道で建造物調査を行いました。今回は大学の夏期休講期間まっただ中ということもあり、調査員は学生のほか研究室OBも含めて総勢8名の大所帯。ちなみに教授は、ご存知のとおりラオス出張中です。
私が大学4年生の時、卒業研究のフィールドとなった琴浦町河本家住宅(現重要文化財)の調査でも、当時の3・4年生10名以上の調査隊で臨んだことを思い出します・・・
今回は、前回の調査や里仁の古民家で実測経験を積んだヒノッキー、白帯、おぎん、アシガル、匠に心強いOBも参加してくれたこともあり、3日間で6棟もの町家を調査することができました。中には、急きょ調査に入らせていただいたお宅もあり、まとめ役として奔走したあげく、ご迷惑をおかけすることもありました。毎度のことながら、平田の皆様の懐の深さ、大きさに助けられております。この場をお借りして御礼申し上げます。
さて、今回調査した町家は以下の通り
1)旧石橋酒造 (新町/切妻妻入町家)
2)T邸(中町/切妻妻入町家)
3)岡 茂一郎商店(新町/切妻平入町家)
4)O邸(宮の町/切妻平入町家)
5)円応教嫁島協会愛宕布教所(宮の町/切妻平入町家+切妻妻入付属屋)
6)持田酒造(片原町/切妻平入町家)
なお、旧石橋酒造については今回の調査後の9月3日(土)に再度訪問していますので、後ほど報告したいと思います。
T邸(中町) T邸(↑)は、前回調査したSh邸とは1棟を挟んで並び、中町に残る4棟並んで建つ切妻妻入町家のうち南端に位置している。T邸の所在する中町の成立については「木綿街道(ⅩⅠ)」で既に述べているので省略するが、この町家も都市計画道路に伴う河川の拡張により撤去されることが決まっているということは重ねて述べておきたい。
T邸はSh邸と同じく切妻妻入型の町家。庇合(ヒアイ)に面する側壁と2階外壁を大壁の漆喰塗(一部トタン貼り)にしている「塗家造り」で、海鼠壁の意匠もみられる典型的な「平田の町家」である。

内部平面は、Sh邸とほぼ同様で南側1間を通り庭とし、北側2間半にドマ(ミセ)・六畳間・六畳間と続き、縁を介して中庭がある。ミセ部分がドマと半間幅の「座」で構成されており、平田の町家の特徴である「L字型のドマ」がそのまま残っている。内部の改修は、通り庭に廊下を設け(昭和50年)壁をボード張りにしているくらいで、やや傷みが見られるものの保存状態はよい。

小屋組は軒桁間に湾曲した小屋梁(φ270)を架けて棟通りの牛梁(φ300)を支え、その上に束をたてて棟木を支える非常に単純な和小屋組。
また、ドマ部分にあたる東側(道路側)3間を境に屋根の段差があることが確認できる。それぞれを比べると建て替えとされる部分の方が軒高は低く、内部の材をみても古いようにも見える。
建築年代については、4代目(現所有者は6代目)のころに片原町から現在の建物に移られたそうで、過去帳なども存在しないためわからないとのこと。建物を見る限り、前側3間から後ろは、Sh邸(大正期)とほぼ同じ軒高で同時期とみてもよいと思われるが、上記のような小屋組や材の古さをみると、東側(道路側)3間は大正期よりも下るのではないだろうか。
現在のところ所有者は住んでおらず、一部を貸倉庫としている。冒頭でも述べたが、Sh邸同様に撤去されることが決まっており、所有者の意向としても移築などは考えていないとのことで、取り壊されるのは非常に残念である。(続・タクヲ)
- 2011/09/10(土) 13:00:49|
- 建築|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0