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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

木綿街道のこと(ⅩⅧ)

町家の調査(7)

続・旧石橋酒造
 前回は屋敷全体について述べたが、当然、旧石橋酒造それぞれの建物の文化財的な価値も高い。特にオモヤ(↑)について今回細かい調書をとったので、さまざまなことが判明した。以下、とくに重要な点を箇条書きしておく。

1)オモヤ内部には長押をまったく用いておらず、数寄屋の要素は皆無であり、書院造的というほどでもない。逆に、ハナレの座敷には面皮の長押を多用している。

2)2階座敷において、18世紀中期以前の平面的特色である「1間ごとに柱を立てる」部分がある。

3)大黒柱などの古材の艶光りが、これまでみてきた18世紀中頃(もしくはそれ以前)の民家とよく似ている。

4)正面の屋根が「シコロ葺き」風の低い二重屋根になっている(ツシ2階のように、古ければ古いほど2階の丈は低い)。

5)外観は土蔵造のようにみせるが、垂木先端部などの木部は土で塗り固めていない。つまり、純粋な「土蔵造」ではなく、必ずしも大火後の建築とは言えない。

 以上のことなどから、オモヤの建築年代が18世紀中期頃まで遡る可能性があるだろう。さらに、本家にあたる登録文化財「本石橋家」(↓)の建築年代に係わる家伝もまた「宝暦」=江戸中期頃である。

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 他の建物では、蔵2の調査の際に「大正八年 拾代石橋清一郎再建」の棟札が発見された。ところが小屋組は古式の和小屋であり、江戸時代の古代を再利用したとみられる。湾曲した梁を多用している(↑)。また、倉庫2の小屋組にはキングポストトラスが用いられているが、「振れ止め」が、真束を挟み込むのではなく貫としてつらぬいており(↓)、明治期でも早い方の可能性がある。この年代観はハナレと近似している。ハナレは2階を垂木まで塗り込めた土蔵造であり、大火後の明治建築である可能性が高いだろう。
 以上のように、今回の調査で各建物の年代観を確認でき、江戸から明治、大正、昭和とそれぞれの時代の変遷を経て、現在の屋敷配置が構成されていった過程を推測できるようになった。ただ、前述のように、今回の調査では元所有者へのヒアリングができておらず、石橋酒造の沿革や建物名称などについて確認できていない。また、オモヤの建築年代をより実証性の高いものとするために、本石橋家の調査もおこなう必要がある。石橋酒造と比較をすることで、木綿街道町並形成の歴史の解明に貢献できるだろう。(タクヲ)

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  1. 2011/09/24(土) 08:41:03|
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