
ついにステージに復帰することになりそうです。米子鬼太郎空港以来、約1年半ぶりにギターをもって人前で演奏するんだ。うまくいくかな。最近、ギターはそこそこ膝の上にあります。譜面をみて人の曲を弾くような余裕はなく、もっぱら自分のアレンジで弾きたい曲を弾いてますが、さきほど学生2名の前でヒミツの曲を演ってみたところ、まぁまぁの反応。人前で演ってもよいレベルには達しているのではないかな・・・
さて、今月25日(日)に六弦クラブの第19回練習会が開催された模様ですが、ミャンマーから帰国後、あまりの疲労に耐えかねて、わたしはひとり大覚寺の下宿で寝ころんでおりました。次回第20回練習会は文化の日(11月3日)に米子水鳥公園で開催される年次恒例の「コハクチョウとギターの夕べ」(今年は名前がちがうかも?)に決まっており、幹事のKさんからお誘いのメールが届きました。
ずっとさぼっているのに、お誘いいただけるなんて、ありがたい限りです。がんばろうと思っています。また、チラシが届いたら、正式に広報させていただきます。
首長族のギター ところで、ミャンマーの報告だが、バガンのことも、インレー湖のことも、いまだに書けない。専門書がいっぱい届いており、それに目を通さないとまずい、という気持ちがさらに執筆意欲を削いでいるのかもしれない。でも、それよりなにより疲れてますね。だいぶ良くなってきたんだけれども、まだ頭が正常に働いていない。

というわけで、またギターの話でもしましょう。インレー湖が所在するシャン州と湖の南側にあたるカヤー州には「首長族」がいまも1万人以上住んでいる。民族学で有名なカヤン族だが、わたしは「パタン族(あるいはバンタン族)」という呼称を聞いた。船に乗って、パタン族の集落に行けるものと勘違いしていた。集落は湖から遠すぎる場所にあり、外国人の入境を容易に許さないエリアであるという。パタン族の女性を集めて舞踊や機織りをみせる土産物店がインレー湖のなかにあった。
ごらんのとおりである。カヤンの女性は真鍮リングを幼い頃から少しずつ首にまきつけていく。首がながくなっているわけではない。真鍮リングで顎と鎖骨を圧迫しているのだという。なんで、こんなリングを首にまくのかというと、「うなじを虫に刺されないようにするため」などいう可笑しな説明を頂戴したが、そんな機能論で片づく代物でないことはだれだって分かる。この真鍮リングは、女性を含む「家」の財産の象徴である。祖母から母、母から娘へと金属の装飾品がうけつがれていくのだ。しかし、おそらく、そういうステータスシンボルであるにとどまらず、セックスアピールの媒体でもあるのではないか。現代女性におけるイアリングやネックレスと近い意味をもったアクセサリーの一つとして理解できるだろうと私は思った。そういえば、縄文の耳飾りとも似ているな。こどものころは小さく、大人になると大きくなって、耳たぶに埋め込まれる耳飾り。仏像の穴あき垂れ耳も、耳飾り使用の証拠としてしばしば引用される。


首長族の女性たちは、レストランでみた見せ物と同じような舞踊を躍ってくれた。おもしろいのは伴奏が手作りギターだったこと。4弦で、フレットは4フレットまでしかない。それから先はフレットレスだが、演奏にハイポジションを使うことはない。4フレットまでの反復演奏で、踊りをおどる。
もちろん、いつものわるい癖で、ギターを弾かせてもらった。4弦のチューニングをはっきり確認していないが、ペンタのモーダル・チューニングであるのはあきらか。民謡っぽい音階はすぐに弾けた。ボディ近くの弦高はゆうに2㎝を超えているが、そんなの何の問題でもない。
「100ドルで譲ってくれませんか」と弾き手の女性に頼んでみた。「駄目」とも言わず、首を横に振る。店だなにならぶ土産物は高くても20~30ドルで、ミャンマー人の月収からみれば100ドルは大変な額なのだけれども、彼女は自らつくりあげたギターを手放す気持ちはさらさらなかったようだ。
いつか未開放区の集落を訪れる日がくるだろうか。

↑「居坐機(いざりばた)」ですね。
- 2011/09/29(木) 03:48:41|
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