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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

神倉と冠巌(Ⅱ)

1007冠巌01


「堂屋敷」の発掘調査

 冠巌にちかい「堂屋敷」の発掘トレンチは横長で、面積は約30㎡。調査期間は、わずか2週間であり、すでに調査は完了し、ブルーシートがかけられていた。当初は「清掃程度の調査」予定だったものを、2週間かけて一部は地山面を検出するところまでもっていったのだそうである。若干の疑問を感じた。以下、2点にまとめて述べる。

 1)「建物になるかもしれない」と判断する遺構があり、礎石?風の石列がたしかに並んでいるが、その石はあまりに小さく、基壇の縁石状のものの破損ではないかと思われる(おそらく原位置からは動いている)。柱を立てるには小さすぎて、3寸~3寸5分角の材を立てるのも難しい。ただし、他の石列がほぼ直角に折れていて、建物と係わる可能性なきにしもあらずではあるけれども、建物の存在を積極的に裏付ける物証とは言い難いであろう。礎石ならば、その据え付け痕跡を検出しなければならないし、1ヶ所でもよいから断面調査が必要。
 2)集石遺構が2ヶ所で出土しているが、生きている(原位置から動いていない)石の識別ができていない。とくに奥側の排水溝(深掘りトレンチ)中央付近にみられる集石を「地山の一部」とみる解釈には同意できない。集石遺構のようにみえる凝灰岩片の固まりは、加工段の成形に伴って切り出された岩盤の破片であり、それを集中投棄したものと推定される。実際その壁面をみると、明るいベージュ色と暗いベージュ色に分かれており、後者が前者を切り込んでいる。暗いベージュ色の土層は、非常におおきな廃棄ドコウであって、そこに凝灰岩片や炭などが大量に投棄されたものとみるべきであろう。断面を再精査すべきと思われる。


1007堂屋敷01


1007冠巌001


 「堂屋敷」から水平方向に移動すると、1~2分で冠巌に至る。ここにも、幅の狭い加工段(平坦面)が形成されている。驚いたのは、遠目には自然の巨岩にみえた冠巌の表面がでこぼこだったこと。ただちに、大分県の六郷満山「奥の院」を思い起こした。六郷満山「奥の院」にはしばしば磨崖仏や本殿をつくるため、山を直角に削りだし、その前面に加工段をつくる。間近にみる冠巌はその風貌によく似ているのだ。つまり、自然の岩山というよりも、人工の手で岩山を垂直に切り落としたように、私にはみえた。当初、岩山には凹凸があったのだろう。それを直に切り落として、正面に加工段を作ったのではないだろうか。この点、摩尼寺「奥の院」の岩陰仏堂とよく似ている。摩尼寺「奥の院」では、岩山を削って人工の岩陰をつくり、その正面に加工段を設けているのである。
 神倉集落から冠巌を望むと、それは摩尼山の立岩にも似た山頂の巨岩のようにみえるが、三徳山の山頂は標高900mの地点にあり、冠巌はむしろ山腹の「行場」のような性格をもった場所だと思われる。興味深いことに、冠巌のほぼ中央から加工段を介する場所に石段らしき遺構が残っており(「仏坂」の呼称が残る)、その石段は神倉神社の真上にあたるのだという。今年度は冠巌周辺の地形測量をするというが、来年は冠巌から石段に至る長めのトレンチをあけて発掘調査をしていただきたいものである。
 摩尼寺「奥の院」との比較が楽しみだ。

1007冠巌002





連香より百倍よい。練習するには、この演奏がいちばんの模範ではあります。けれども、どうしてもディアンスには届きませんね。練習曲と芸術の差を感じてしまいます。
  1. 2011/10/12(水) 00:26:14|
  2. 史跡|
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