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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

亀茲の砂塵(Ⅱ)

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 ブログ担当の学生がいつまで経っても原稿を書かないので、わたしが顛末から書き始めるしかない。中国ではFC2とyoutubeがともにネット規制にひっかかっており、ブログのアップが不可能であったのは確かだが、そろそろ書いてくれないと困ります・・・タクオとわたしは紀要論文の〆切に迫られていたので、担当がだれかは容易に想像されるでしょう。
 今回の4人旅は、16日出国~20日帰国の弾丸ツアーを予定していた。北京、ウルムチ経由でクチャに入り、正味2日間かけてキジル千仏洞(3~9世紀)、ギジル・ガハ千仏洞(4~11世紀)、クムトラ千仏洞(6~11世紀)、スパシ仏教寺院址(3~11世紀)を視察し、19日にクチャからウルムチを経由して北京まで戻り、翌20日に帰国する予定であった。
 すべての視察を終えた19日の昼すぎ、クチャの空港に到着。ここで午後3時40分発のCZ6874便(中国南方航空)がウルムチの天候不良により1時間遅れのボーディングになると通知する貼り紙をみた。まだ大丈夫だと思っていたのだが、紀要に投稿する原稿を書きながら過ごす待合室で時間は刻々と流れ、CZ6874便は2間以上遅れて、ようやくクチャ空港を離陸した。
 ウルムチから北京に戻るCA1294便(中国国際航空)のボーディング時間は午後7時10分。このままだとアウトだが、ウルムチのフライト全体が平行して遅延しているならば、乗れるかもしれない。
 ただちにCZ6874便の客室乗務員に事情を説明した。彼女はなんどか地上と連絡をとりあい、「ゲートを出ると会社の者が待っているので、心配しなくても大丈夫です」と念をおした。それは嘘であった。飛行機を降りて、あたりを見回すが、待人などどこにもいない。荷物はなかなかでてこない。ロビーに出ても、だれもいない。おまけに中国国際航空のターミナル(T3)は遠く離れており、スーツケースを揺らしながら車道を突っ走った。たしか、ちょうど午後8時ころに中国国際航空のカウンターに到着した。結果はアウト。いままさにボーディング・タイムであり、チェックインは30分前に済ませておかなければならないのである。

 そこから地獄の2日間が始まった。-7℃の車道を歩いて中国南方航空のターミナル(T2)に戻ると同時に、長い交渉の幕が切って落とされた。帰国は20日午後6時10分のCA161便。このフライトに乗るためには、20日午前の便を確保するしかない。しかし、CA、CZともに満席であることを告げられた。この段階で20日の帰国が不可能になった。始末書が頭をよぎる。それでも不幸中の幸というべきか、20日午後1時50分発のウルムチ→北京便(CA1902)に空きがあることが分かり、翌21日午前8時半発の北京→大阪便(CA927)も予約できた。ただし、中国南方航空が中国国際航空のフライトを予約しただけだから、発券が確実に保証されたわけではなく、予断を許さない状況にあった。そこで、クチャの空港で現地のガイドが「問題が発生した場合、ウルムチの旅行社本社に連絡しろ」と教えてくれた携帯番号に電話したところ、いきなり「500元(約7000円)払わないならサポートに行けない」と返してくる。即、断った。

 19日夜の宿舎は中国南方航空が手配してくれた。武警新疆公安辺防総隊培訓中心(国境防衛機動隊トレーニングセンター)の招待所に泊まることになった。貴重な体験ではある。その段階までの交渉が熾烈をきわめ、疲労が累積しており、食堂で弁当を食べたあと動けなくなった。紀要論文がさっぱり進まない。予約していた北京のホテルに電話し、キャンセルを伝えると、「そんなこと、あんたに言われても駄目よ、旅行社から正式に連絡してくれないと困る」と言われたので、再び旅行社の携帯に電話したのだが、応答なし。何度電話しても、話し中のまま通信音が消えていった。

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 翌20日、朝からウルムチ空港に戻り、また長い交渉が始まった。北京行きのチケットは発券されたが、北京のホテルを手配してくれないのである。中国南方航空、中国国際航空のいずれも「我が社に責任はない」の一点張りで、二社相互の話し合いを長時間してもらったが、二社の結論は「予約は自分でしろ」というもの。可愛い顔した若い女性と罵声を浴びせ合った。代金は当方で負担すると言ったのである。ホテルの連絡リストさえ頂戴すれば、それでなんとかできたのに、そういうサービスすらしてくれない。

 「北京空港で一夜を過ごす」ことも現実味をおびてきた諦めムードのなか、ウルムチの旅行社本社に3度目の電話をしたところ、昨夜とは違う担当者がでてきて、北京のホテルを予約してくれた。「送迎のバスがあります」というので、フライトの番号を知らせた。出口まで迎えにきてくれるという。一同、安堵したが・・・中国はそんなに甘い国ではない。以下、タクヲとの問答。

  「北京のホテルの住所は聞いたのかい?」
  「いや、電話番号だけです」
  「そりゃ、危ないな・・・」
  「でも、迎えが来ると言ってました」
  「迎えが来ると言って来ないのが中国だろ?」
  「・・・・」

 果たして、迎えはいなかった。若い従業員があらわれるまで、北京空港ターミナル3の出口Cで1時間あまり待ち続けるだけ。そのあいだ、ウルムチの旅行社に数回、北京のホテルにも数回電話した。ここにいう「電話」とは同行したSさんの携帯電話であり、すべて「国際電話」の扱いになる。経費は1万円近くに達しているだろう。役に立たないのは日本の旅行社も同じである。土日の連絡方法がまったく示してない。もし旅客が土日に大きな事故に巻き込まれたら、どう対応するつもりなのだろうか。土日出勤の者がいるだけ、中国のほうがマシ、という見方すらできるであろう。
 空港に近い北京のホテルのカウンターで確認したところ、ウルムチ旅行社からのFAXはたしかに届いていた。ホテル側が送迎の手配を忘れていたのである。

 21日の昼に帰国した。午後から予定されていた大きな会議には出席できなかったが、夕方からの小会議には顔をだした。翌22日の午後4時ころ、紀要の論文2本が完成した。


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  1. 2011/11/24(木) 12:54:05|
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