キジルガハ千仏洞 キジルガハ千仏洞はクチャから北西12㎞のゴビ丘陵にある石窟群で、やはり重点文物保護単位です。この日は、キジル千仏洞から派遣された姚さんという女性ガイド(私と同い年)が笑顔の素敵な美しい女性で、男性陣はうきうきされていました(笑)。
キジルガハは「赤い白鳥」という意味。先生は「赤い白鳥って何? 白い黒人って言っているようなもんでしょ??」なんて質問して、車内を賑やかにされていました。キジルガハ千仏洞は宮殿寺院と呼ばれ、貴族階級の寄進した仏教寺院です。また、ギジルガハ千仏洞は、キジル千仏洞に比べて少し遅い5~9世紀に造営されたもので、全部で46窟が開削されています。クチャから近いこともあり、容易に人が見に来られることから、大部分が壊れてしまったそうです。さらに、洪水や地震、戦争などの影響もあり、破損が激しく、壁画などが残っているのは11窟にすぎません。今回は以下の9窟を視察しました。
11窟(6世紀)中心柱窟
14窟(6世紀)中心柱窟
15窟 中心柱窟
16窟(6世紀)大像窟
13窟(6世紀) 中心柱窟
27窟(7世紀) 僧房窟 書庫あり
30窟(7世紀) 中心柱窟
32窟(7世紀) 中心柱窟
38窟(4世紀) 中心柱窟

11窟は6世紀に造られた中心柱窟です。元々前室があったそうですが、今は崩れてなくなっています。その前室は走廊のようになっていて、11窟と12窟を繋いでいたと思われます。壁画はよく見えませんが、下には説法図、上には飛天図、天井には天相図が描かれています。天相図には仏、真ん中に雨の神である龍、ガルーダ(人の顔をもち鳥の体をした釈迦の保護神)、仏、風神、馬に乗る仏、太陽神(車輪に乗る仏)がみられます。また後ろは特別で、ひし形に絵が配列されています。ジャータカが描かれ、そこには釈迦の前世を象徴する猿や鹿、馬が見られました。また、燃えている兎も発見。これは水の悪魔だそうです。色々な物語が描かれているようです。
14窟は金持ちの貴族が寄進した石窟で、壁画などの表面はすべて金箔で貼られていたようですが、いまははぎ取られています。14窟には、弥勒菩薩の説法図が描かれています。釈迦は涅槃の後、仏になることから、弥勒菩薩は未来の象徴で、未来の仏と呼ばれています。弥勒菩薩の両側に立つのは弟子だそうです。合掌供養する天人が立っています。天井にはさまざまな飛天が描かれています。
16窟は6世紀のもので、「大像窟」と呼ばれる中心柱窟です。外に立つ仏は元々主室に置いていたそうで、両側下の部分には金剛力士立像がありました。天井にはひし形配列の壁画があり、釈迦座像が見られ、天井の一番高い部分で飛天が踊っています。後室には涅槃台もありました。


13窟は7世紀の僧房窟です。研究によると、70人の僧が住んでいたとのこと。面積に比して、多すぎるのではないか、という印象です。壁画はありませんが、経典を収める本棚や書庫がありました。僧房窟の中には竈もありました。後世の遊牧民族が寒さを凌ぐ冬の家として中で生活していたとのことですが、煙突がないため煤で壁や天井が黒くなってしまったそうです。
30窟は一番綺麗な石窟です。7世紀の造営。後室の天井には琴や花、皿、5絃琵琶などをもつ8体の伎楽飛天が、気宇広大で美しく描かれており、クチャ壁画の優品と評価されています。
最後に32窟。やはり7世紀の開鑿です。「隅三角持ち送り天井(ラテルネンデッケ)」と初対面。正方形平面を隅から菱形に押し出していくことで、階段状のドーム構造を形成しています。天井の真ん中に描かれている緑は海を象徴するもの。海のない新疆人の海に対する憧れを示すものでしょうか。ほかにも、青で描かれた龍もみられました。石窟によって時代の流行、構造に違いがあり、おもしろいと思いました。
- 2011/11/30(水) 00:03:17|
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