天岩戸神社 新年あけましておめでとうございます。
今年も引き続きのご支援をお願い申し上げます。
昨年12月25日午後、高千穂の天岩戸神社を参拝し、クリスマスにおみくじをひきました。
熊本の山都(やまと)から峠を越えて、宮崎の高千穂まで車で1時間足らず。高千穂市街地の西郊山麓には天岩戸神社があります。
纒向遺跡の大型建物群を復元して以来、卑弥呼が亡くなって天照大神になったのだと勝手に想像しているわたしとしては、山都から高千穂に向かわずにはいられませんでした。今の若者は「天岩戸(あまのいわと)」神話など知らないでしょうから、いい加減に説明しつつ記録を残しておきます。

弟スサノオの悪行に堪忍袋の緒が切れたアマテラスは、洞窟に籠もって入口を重たい石の扉で閉めてしまわれました。これで、世の中が真っ暗になってしまった(この神話を日蝕の暗喩であり、実際に卑弥呼の時代に日蝕があったと唱える学者もおります)。太陽神が消えてしまって、高天原(天上)も葦原中国(地上)も暗闇と化し、八百万(やおよろず)の神々が天安河(あめのやすかわ)の川原に集まり相談をしたそうな。ここでいろんなことをしたんですが、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が洞窟(岩屋)の前でエロティックなダンスを踊ったところ、高天原が鳴り轟くほど八百万神が大笑いした。洞窟に隠れていたアマテラスは、なにがそんなに可笑しいの、と岩戸をちょっとだけ開けてみたら、そこから光が漏れて、居場所がばれてしまい、アメノタヂカラオという力持ちの神様がその扉をこじあけて、アマテラスを洞窟から連れ出したという神話です。古事記と日本書紀では、若干記述が異なるようですが、ここは神社でご案内くださった宮司さんの説明に従いました。

↑天安河の岩屋
*いちばん上に掲載した年賀状の「住所」は個人情報保護のため一部削除し、ぼかしております。投函が30日までずれ込みました。少々お待ちください。

天岩戸の所在地については諸説あり、岩戸という地名や神社名は各地にありますが(鳥取にもあるね)、そのなかでいちばん有名なのが高千穂市の天岩戸神社でしょう。天岩戸神社には東西二つの本宮があり、いずれもアマテラスを祀っています。西本宮に本殿はなく、対岸の洞窟をご神体としています。この洞窟こそが、アマテラスがお籠もりになった岩屋であると言います。ご神体であるからには禁則地であり、西本宮側から遙拝を許されるのみ。
アマテラスは後に孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を高千穂峰に天降らせ、そのニニギが天岩戸の故事を偲び、岩屋を鎮祭したのが起源であると社伝は伝えています。対岸にある東本宮は氏神社で、創祀時代不明。思兼神(オモイカネノカミ)の由緒が残っていますが、物語としてみれば、天岩戸より出御したアマテラスの御旅所のような位置づけでしょうか。

西本宮から560m西行した渓流の奥に、もう一つの大きな洞窟があります。ここが「天安河」の故地とされ、参拝者が絶えません。洞窟の奥に2棟の流造本殿が鎮座していますが、もちろん本殿がもとからあったわけではなく、神話のなかの祭場を後に聖視化して社殿を建てただけのことでしょう。
洞窟を「岩戸」もしくは「岩屋」と呼び、日本書記では「石窟」の二文字を「いわや」と読ませています。いろいろ考えさせられる神社であり、場所でした。

↑天岩戸神社と高千穂市街地の中間に「栃又の棚田」がある。岩戸川の北側段丘にひろがる棚田で「日本の棚田百選」に選ばれている。高千穂は「秘境百選」の地でもあり、ここもまた重要文化的景観の有力候補地であろう。
- 2012/01/01(日) 00:00:01|
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