
開学年度の冬だから、今から11年も前になるけれども、1期生のゴルゴ18やヤノッチ15を連れて、鳥取県西部日野町の茅葺き民家をつぶさにみてまわっていた。根雨から出雲街道(国道181号線)を東行していくと「金持」という地名があり、街道の南側に「金持神社」の叢林を発見。なんと縁起の良い地名にして社名であろうか、と関心し、境内に足を踏み入れた。建築的にみれば、特筆すべき社殿というわけではない。2~3枚写真をとれば十分であったが、文化財価値などよりも「名前」に価値があり、そこはすでに「金運祈願」の神社として観光スポット化の気配を見せ始めていた。山陰でも有数の過疎地に発財の巡礼地が生まれようとしていたのである。
ただし、「金持」は「かねもち」ではなく、「かもち」と読む。また、歴史的にみれば、「金持」の「金」はマネーのことでもない。それは「鋼(かね)」つまり「鉄」を意味する。伯耆から出雲にかけての山間地域は、古来全国的に名高いタタラ(鉄生産)の地であり、『もののけ姫』の舞台はこのあたりだろうと私は勝手に思っている。
この正月、財布を買い換えることにした。古い財布の小銭入の部分がほころびて、コインがポケットにこぼれ落ちるようになったからである。奈良のイオンの売り場には、いろんな財布が並んでいた。欧米のブランド物ももちろんある。驚いたことに、その棚に金持神社の財布が含まれているではないか。正確にいうと、よしざわ株式会社が金持神社とライセンス契約を結んで製造・販売している財布である。デザインがあか抜けしているわけでもなく、他の財布に比べて使いやすい工夫がなされているわけではない。しかし、わたしは金持の財布を買うことにした。決め手となったのは、神社の社紋が「三つ巴」だったことである。以前、お伝えしたことがあるはずだが、我が家紋もまた「三つ巴」系の「
結び巴」であり、魯班営造学社の
名刺やASALAB院生の
名刺のロゴとして使ってきた。そういう経緯もあり、よほど縁があるのかもしれないとまた勝手に思いこんだ次第。家内もこれにはいたく感激し、私の分だけでなく、息子の分まで買おうという。結局、色違いの金持財布をいま親子でもっている。


↑こちらは阿蘇山上の売店で仕入れた小銭入なり。
- 2012/01/10(火) 00:13:30|
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