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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥ノ院」遺跡の環境考古学的研究(Ⅷ)

1019奥の院石仏005


虚空菩蔵薩立像と石段の発見 -雪の石仏調査

 こんにちは、白帯です。
 19日(木)午前は猫プロ研の発表会に遅刻してしまいましたが、石仏調査不参加の女子ゼミ生2名には内緒で、お昼に「たかや」でお蕎麦をごちそうになりました。辛み大根のおろし蕎麦で、先生とタクヲさんのおろしはたいしたことなかったみたいですが、自分のだけものすごく辛いところに当たり、舌がヒリヒリしました。
 昼食を済ませ、摩尼山に向かいました。昨年ならば1~2mに達する豪雪で、とても調査などできませんが、先日の初詣で雪がないことがわかり、「奥の院」まで石仏の調査に上がることが決まったのです。この調査は倉吉市在住Sさんのご要望によるものですが、先生はSさんがひとりで山に登ると死んじゃうのではないかと心配し、自ら調査隊長を買って出るだけではなく、男子学生等3名も同行し、不測の事態に備えられたのです。
 門前では消えていた雪が、山道になると一気に深くなりました。予想以上に根雪が残っているのです。ゼミの女子を連れて来なかったのは正解でした。もっとも深いところで根雪は40センチくらいあり、長靴の上から雪が入ってきます。しかし、どうゆうわけか、一番年上のSさんがトコトコ足早に登って行かれるのです。正月明けに韓国で栄喜を養われたみたいでして、朝鮮人参とニンニクとキムチと・・・あとは何が効いたのでしょうか??

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 半時間ばかりして「奥の院」に到着し、さっそくSさんは石仏の調査を始められました。私は勿論、コーヒー係です。年末のインターンシップで唯一習得したのがコーヒー淹れですからね。インスタントコーヒーではありましたが、みなさんに美味しいコーヒーを作りましたよ。
 Sさんは岩陰下段の石仏を次々と調査し、実測していかれました。千手観音、地蔵菩薩、不動明王など石仏の種類も続々と明らかになっていきました。そうこうしているうちに、浅川先生は忍者のようなナオキさんにⅣ区の岩窟仏堂を見てくるよう指示されたのですが、上方に上がっていくと、Ⅲ区(岩陰)からⅣ区(岩窟)に登る石段状の遺構が発見されました(↓)。これまでは樹々の緑で覆われていて、石段を隠していたのでしょうが、落葉樹の葉が落ち、雑草が枯れたために、石段の遺構があらわになったのです。全員、驚愕しました。これが第一の新しい発見でした。

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↑左下から右上に向かってのびる階段状遺構が分かりますか?

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 岩陰下段の調査が終わり、Sさんの視線は上段の立像に移りました。仏龕のような小さな岩窟が上段に掘りこまれており、先生もSさんも「新しい仏像」で、たぶん「観音」だろうと判断されていたので、調査するまでもないか・・・という意見もでたのですが、タクヲさんが望遠レンズでアップ写真を撮影されたところ、石仏は左手に宝珠、右手に剣をもっていることが分かり、Sさんは「帝釈天」である可能性を示唆されました。帝釈天だとすれば、大変な発見です。「奥の院」の岩窟に篭もっていた竜女が天に登って、立岩に舞い降り、帝釈天になったという伝承がありますが、山頂の立岩以外に「奥の院」の岩陰上段の岩窟にも帝釈天像が祀られているとすれば、意味深長です。
 ここで先生は忍者ナオキさんを呼び寄せ、「あそこに上がって」と命令。身軽なナオキさんはすいすい上段の仏龕に上がって、写真撮影と実測に取りかかりました。調べれば調べるほど、その石仏が帝釈天立像である可能性は高まり、仏像の裏には文化6年の年紀が刻んであるとナオキさんは伝えてきます。西暦1809年の寄進であることまでわかったのです。この年代は、岩陰下段の千手観音や不動明王の年代に近いものかもしれません。

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 今回決死の覚悟で摩尼山に登りましたが、当初やる気満々だったのはSさんだけでした。周りはみんな雪を恐れていたのです。しかし、今回のやや危険な調査により、岩陰から岩窟に登る石段が発見され、摩尼山第二の帝釈天立像まで発見するという大収穫がもたらされました!?・・・日も落ちてきたので15時過ぎには山を降りました。先生は雪道でまた滑って転びました。栃本廃寺ではバックドロップでしたが、今回はフライング・ボディプレスのような転び方で、前のめりに倒れていきました。首にかけていたデジカメは・・・壊れていませんでした。よかったですね。

トラの失踪とかき餅

 下山後はいつものとおり、門脇茶屋の喫茶部でおいしいコーヒーをいただきました。このお店のコーヒーは、自分のような素人には真似のできない美味しさなんですが、ドリッパーの手入れに加えて、なにより「水」がよいのだろうとおばさんはおっしゃいます。この日は、できたてのかき餅までいただきました。ほんのりとした甘みのあるやわらかいかき餅でした。ところで、初詣の際に2匹の猫のうち、雄猫トラが失踪中だと知らされていました。2歳になったトラはおそらく発情期で、雌猫漁りにでかけたまま帰ってこないのだろうとのこと。猫もチャラヲになる年ごろなんですね。

 大学へ戻り、ナオキさんが岩陰上段の岩窟に上がって撮影した石仏の写真を確認したところ、背面の下のほうに「虚空蔵菩薩像」との刻み文字を確認できました。なんだ、帝釈天ではなく、虚空蔵菩薩の立像だったのです。摩尼山第二の帝釈天像でないことが判明し、みんながっかりしました。しかし、仏像が虚空蔵菩薩で文化6年の寄進であることがあきらかになったことは、やはり重要な発見と言えるでしょう。(白帯)

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↑ピンクのかき餅を切って縄で結び干すのですが、干す前のかき餅がまた美味しいのです。
  1. 2012/01/23(月) 00:00:36|
  2. 史跡|
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