赤い夕陽が目に沁みる(余話)-吾妻蕎麦 老舗の蕎麦屋「吾妻蕎麦」にいつもの釜揚げを食べにいった。その日は午後から鳥取城の発掘現場を視察することになっていて、蕎麦屋と現場が近いので、久しぶりに吾妻蕎麦で昼食をとることにしたのである。たぶん半年ぶりぐらいだろう。田園町や寺町に住んでいたころ、毎週のように通っていたが、大覚寺に引っ越してから足が遠のいた。「たかや」は大学との中間になって通いやすくなる反面、通勤圏外の吾妻蕎麦には疎遠になったのである。
暖簾をくぐると、若女将がにこやかな顔で「あら、お久しぶりですね」と迎えてくれた。たしかに、そうだ、久しぶりだ。いつものように、いちばん奥の席に陣取り、熱い釜揚げを注文。山陰中央新報紙を開いてまもなく、釜揚げが卓にでてきた。一味を振りかけながら、店をちょろちょろみまわした。大女将がいない。
「おかあさんはどうしたんですか?」と訊ねると、若女将の顔が曇った。
「一年前の正月4日に亡くなったんです」という報せに言葉を失った。わたしは一年以上「吾妻蕎麦」を訪れていなかったのか・・・大覚寺に引っ越したのは一昨年の11月だから、その二月後に、あの元気だった女将さんが旅立たれたのだ。いつもいつも良くしていただいた。夏は冷たい釜揚げ、冬は熱い釜揚げに決まっていて、それ以外のメニューを注文したことはほとんどない。釜揚げ蕎麦をたくり、蕎麦湯をがぶ飲みする。
たいてい夕方4時ころ暖簾をくぐる。テレビはいつも「水戸黄門」の再放送で、「別の番組にしましょうか」と女将は必ず問うが、そのまま黄門様を視るに決まっている。お総菜を一品足していただいたり、体に良いからと梅干しや黒酢ドリンクをいただいたことも一度や二度ではない。
夢のようだ・・・Always(永遠)なんて嘘じゃないか。
- 2012/01/28(土) 00:15:02|
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