
吾妻蕎麦を訪れた24日、もうひとつ悲しい現実を知った。
鳥取城石垣工事のためのプレハブは登録文化財に値する仮設建物だと思っていた。石工の上月さんが拠点とするそのプレハブが初めてLABLOGに登場したのは、2005年
7月6日のことである。当時、天球丸で下層石垣が発見され、以後の鳥取城整備を軌道修正する転機になろうとしていた。天球丸に通うたび、上月さんのプレハブでお茶やお菓子をご馳走になりながら、雑談に花を咲かせた。上月さんは船岡の人。船岡小学校で教師をしていた母のことをよく知っている。わたしは小学校低学年のころ、日直だった母親にあいたくて、ひとりバスに乗り、船岡小学校を訪ねたことがある。日曜日なのに、母の居ない家にいたたまれず、父に黙ってバスに乗り母に会いにいった。自分の住む町をでて一人でバスに乗るなんて生まれて初めての冒険だったから、そのことを妙に覚えている。
2005年7月の記事「
天球丸の衝撃」では、上月さんのプレハブは「築後54年」となっている。そのころから、わたしは「登録文化財にする」と冗談まじりに豪語し、文化財職員に嗤われていた。今回も、市の若い技師は「そんなに古くありませんよ」と素っ気ない。しかし、築後40年以上であるのは間違いなく、畳敷きの座敷を含む内部には、えも言われぬ暖かみがあり、外観にもバラックのような特有の美しさがただよっていた。吾妻蕎麦の女将がそうであるように、上月さんのプレハブも、夕日町三丁目のような人間らしいぬくもりがあった。
行政はバラックを撤去した。いま、味気ない弁当箱ハウスが建っている(↑)。仮設のプレハブは年度更新しなければならない、というのがその理由である。こういう発想しかないのですよ。これからも工事を続けるのだから、あの懐かしいプレハブで、いったい何の問題があるというのだろう。
見方によっては、鳥取城の地下遺構よりも、あのプレハブのほうが文化財価値、芸術的価値が高いと言うことだってできる。上月さんの骨董的プレハブが撤去されるにあたって胸に痛みを感じたなら、その人は真っ当だと思う。もしそうでないなら、鳥取城の整備はもちろんのこと、文化や文化財に係わるのをやめたほうがいい。

↑天球丸は変わる。
- 2012/01/29(日) 00:00:34|
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コメント:3
お気持ち、よく分かりました。
が、本当に「壊すべき」だったのでしょうか?
博物館のなかに復元展示(あるいは移築展示)しても良いほどのプレハブだったと思っています。
- 2012/01/31(火) 21:24:33 |
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- asax #90N4AH2A
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