FC2ブログ

Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥ノ院」遺跡の環境考古学的研究(Ⅹ)

上層出土土器の古さについて

 上層の整地年代については、上層最下層にあたる整地層で15~16世紀の備前焼すり鉢(№26)や青磁の香炉(№35)・皿(№55)が出土している点から室町時代後期以降の形成と推定される。しかし、注目したいのは上層から鎌倉時代以前の土器が多数出土している点である。下層は発掘面積が小さく、Ⅱ区で出土した土器は7点に限られたが、、Ⅰ区最下層出土の13点を除くと、上層出土土器の総数は125点を数え、うち50点が鎌倉時代以前のものである。
 さらに年代を絞り、平安時代以前の土器ならば上層だけで45点、平安時代初期(9世紀)から奈良時代以前に遡りうる土器は12点もある。これまで何度か述べてきたように、下層加工段の形成は10世紀以降であり、建築物の存続年代を考慮するならば、鎌倉時代に近い平安時代末期が想定される(それは不思議にも藤原秀衡の年代と重なり合う)。しかし、上層で8~9世紀に遡りうる土器がこれだけ出土している点を鑑みれば、摩尼寺「奥の院」遺跡におけるヒトの活動がその時代にまで遡りうる可能性を当然想定しなければならない。

放射性炭素年代について

 株式会社パレオ・ラボに依頼して、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定をおこなった。研究費の関係上、2010年度に2点、2011年度に6点に分けて分析を委託した。まず2010年度の成果を述べる。なお、以下に示すPLD-1740などの番号はパレオ・ラボ社の測定番号、それに続く( )内のC007などの番号は発掘調査現場における採取の通し番号を示す。

  PLD-17409(C007): 40216BC(95.4%)39460BC
  PLD-17410(E003): 1665AD(18.4%)1689AD 1730AD(48.3%)1785AD
                  1793AD( 9.6%)1810AD  1926AD(19.2%)1954AD

 PLD-17409(C007)はⅡ-A区の下層整地土に炭化した粒子を確認したので、その炭化粒子を含む土壌全体をサンプルとしたものであるが、旧石器時代に相当する年代を示した。地山に含まれていた何かが整地層に混入して炭化したとしか考えられない。
 PLD-17410(E003)は下層井戸SE01廃絶時に井戸に差し込まれた推定「井戸神の息抜き」の土壌をサンプルとしたものである。最も信頼性の高い年代が1730AD~1785ADであるが、その信頼性は48.3%にとどまり、可能性のある年代は1665AD~1954ADと幅がひろい。とりわけ近代にあたる1926AD~1954ADが2番目に高い19.2%を示している点をみると、調査時になんらかの要素が混入した可能性もあり、土壌化したデータそのものの不安定さをも考慮すると、このAMS年代を井戸の廃絶期と認定するのは難しいであろう。
 2011年度の年代測定対象6点のうち最後に送付したPLD-19605(通し番号なし)は、2011年10月21日におこなったオーガーボーリング調査の際、ハサミスコップで取り上げた灰色粘土に付着した枯葉であるが、その年代測定結果は1955AD(95.4%)1957ADであり、「ボーリング調査時に表層より下層へ葉が侵入した可能性」が高いため、特論への掲載を割愛した。この1点をのぞく5点はいずれも2010年度の発掘調査時に採取したサンプルであり、以下の年代結果が得られた。

  PLD-19413(C005): 1493AD(76.4%)1603AD
  PLD-19414(C008): 807AD(57.9%)903AD  916AD(34.0%)967AD
  PLD-19415(C013): 1489AD(76.9%)1604AD
  PLD-19416(C025): 989AD(95.4%)1030AD 
  PLD-19417(E002): 1953AD(95.4%)1956AD


 以上のうち、近代の年代を示すPLD-19417(E002)は井戸跡を囲む八角形の構造物を構成する杭跡の土壌化した炭化物だが、サンプルは泥化している。PLD-19605と同じく、「現代の有機物が移動した可能性」が高い。構検出の段階では下層遺構面で検出され、「井戸神の息抜きを保護するための施設の柱跡」と想定したが、地表面から打ち込まれた杭の可能性がある。但し、上層面では肉視によって痕跡は認められなかった。
 最も注目すべき年代は、Ⅰ区の最下層(整地層)から採取したPLD-19416(C025)の989AD~1030AD(信頼性95.4%)であり、平安時代10世紀以降とされる下層出土土器の年代観とよく一致している。下層整地の造成年代が10世紀末~11世紀前半の可能性を示すものである。これと近い年代を示すのはⅡ-A区の上層整地土をはぎ取り下層遺構面を検出していた際に採取したPLD-19414(C008)だが、下層の土器年代に合致している(炭化材の部位はC008・C025とも不明)。一方、畦沿いに下層の遺構面を検出していた際に採取されたⅡ-C区のPLD-19413(C005)とⅡ-C区のPLD-19415(C013)も下層遺構面検出時に採取した炭化物で、パレオ・ラボ社の測定によると、信頼性76%で15世紀末~16世紀前半の年代を示している(炭化材の部位はC005・C013とも最外年輪)。この年代は下層の廃絶期に対応し、上層最下層で出土した備前焼や青磁香炉などの年代と一致している。
 以上、AMS法放射性炭素年代であきらかになった年代は土器による年代観と対応しており、下層遺構は「10世紀末~11世紀前半」以降に形成され、「15世紀末~16世紀前半」以降に廃絶した可能性を示唆するものと言えよう。

  1. 2012/02/16(木) 00:00:36|
  2. 史跡|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
<<摩尼寺「奥ノ院」遺跡の環境考古学的研究(ⅩⅠ) | ホーム | シンポ「 雲州平田木綿街道の町並み保全にむけて」予報(Ⅱ)>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://asalab.blog11.fc2.com/tb.php/2864-a2afb273

本家魯班13世

04 | 2021/05 | 06
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search