山のジオパーク ここで時間を昨年(2011)師走の17日に巻き戻す。同日、重要文化財「仁風閣」で「山林寺院の原像を求めて-栃本廃寺と摩尼寺『奥の院』遺跡-」と題するシンポジウムを開催した。文字通り、栃本廃寺と摩尼寺を中心に山林寺院の諸問題を論じたシンポジウムであるが、
パネル・ディスカッションの最後に摩尼山の保全とグリーン・ツーリズムに関する討議をおこなった。ここで主役を務めたのは、鳥取環境大学の同僚、中橋文夫教授(ランドスケープ・デザイン専攻)である。中橋教授はシンポジウム資料集に「摩尼寺『奥の院』遺跡をグリーン・ツーリズム的視点から見た史跡公園・文化的景観の保全・活用・整備の方向性について」と題する論文を寄稿している。摩尼山が山陰海岸ジオパークに含まれることを強調し、これまで「山のジオパーク」が軽視されてきた経緯に注意を促しつつ、計画の方向性として以下の7点を指摘している。
(1)山と海を繋ぐ歴史自然巡回廊の構築
(2)豊かな自然を生かしたエコミュージアム構想
(3)身近な生き物とふれあう生態回廊の構築
(4)森の文化的景観を楽しむ、里山林整備計画の導入
(5)「行」ができる歴史体験型庭園としての整備
(6)摩尼山、久松山を拠点とするロ号国営公園の誘致
(7)眠れる資源、坂谷神社の巨岩
この内容は歳があけた
1月9日の日本海新聞(19面)に「山のジオパーク『摩尼山・久松山』 里山歴史公園の視座」と題して掲載されている。「山のジオパーク」という視点はまったくの盲点であり、山陰海岸と摩尼山の一体化というアイデアに魅力を感じる。
国立公園か国営公園か 上の提案は緑地景観保全計画の面ではまことに適切な指摘がなされているけれども、文化遺産の立場から一抹の不安を覚えたのは「ロ号国営公園の誘致」という提案である。ロ号国営公園の問題に焦点を絞って、中橋教授の当日の発言を引用しておこう。
やはり法的ないろんな制度をもって、摩尼山をちゃんと都市計画で
位置づけていく必要があります。たとえば、摩尼山は山陰海岸国立
公園から(1.5kmしか離れていないのに)国立公園から外れています。
環境省は、なぜ摩尼山を国立公園に入れなかったのでしょうか。
それはそれで今後検討していくとして、摩尼山を国営公園にできない
のかと思うのです。久松山と摩尼山を一体にとらえた国営公園です。
国営公園は山陰地方にはありません。日本でないのはここだけです。
これは国策としてちょっと具合が悪い。まもなく高速道路(鳥取道)
も全面開通しますし、そういうことを機会にして、国営公園を誘致
してはどうでしょうか。その場合、国営公園にはイ号とロ号があります。
イ号は総合的なスポーツ・レクリエーションを目的とした公園で、ロ号
は国家的歴史資産の保全活用を目的としています。吉野ヶ里遺跡、
飛鳥歴史公園、平城宮跡がロ号国営公園の代表ですね。と言いながら、
じつは、今からの時代はもう国営公園と違いますよ。鳥取県は近畿圏の
広域連合に入っていますよね。そういう広域連合が考える広域利用の
公園のあり方というのも、基本的に検討すべきだと思います。今後、
それも地域主体でやっていくのですよ。もう国に任せたらだめだという
意見も強いわけです。地域の方がボトムアップでやる。そういう自然参画系
の公園はどうであるべきか、検討していく。(後略)
国立公園は自然公園法に基づき環境省が所管する自然公園であるのに対して、国営公園は都市公園法に基づき国土交通省が所管する営造物公園である。国立公園が自然の「風景」とその静態的な保護に重きを置くのに対して、ロ号国営公園は「国家的な記念事業として、又は我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図るため」認定する公園または緑地である。と言いながら、「文化的資産の保存」を飛び越えた復元整備に重きを置く傾向が近年目に余る。その代表が吉野ヶ里国営公園である。国の特別史跡でありながら、おびただしい数の(根拠の乏しい)復元建物を建立し続けているのは、そこが国営公園であり、有り余るほどの予算を復元事業に投入できるからだろう。国の特別史跡にして世界文化遺産でもある平城宮跡においても、第一次大極殿院全体の復元事業が国営公園の制度の下に着々と進行しつつある。吉野ヶ里と平城宮跡という特別史跡が国営公園化によって復元三昧の方向に向かっているのは事実であり、そういう傾向が続く限り、「国営摩尼・久松山歴史公園」というアイデアには素直に従い難い。「国営」ではなく「近畿圏の広域連合」だとしても、復元建設に重きが置かれるとすれば、そのような整備には同意できない。ただ、国営飛鳥歴史公園のような方向性をもつ整備ならば、歓迎しないわけではない。
誤解を招いてはいけないのであえて述べておこう。我々が試みた復元研究は、上層の景観イメージを読者に掴んでいただくことを目的としているのであって、CGで再現した上層の建物群を原寸復元したいという欲望を示したものでは決してない。むしろ復元建物を建てるべきではなく、雑木の伐採・除草・清掃をした「奥の院」遺跡本来の姿をみせる質朴な整備こそが肝要だと強く思っている。
そういう整備の特性において、摩尼山や坂谷神社は国営公園化よりも、山陰海岸国立公園への追加編入が望ましいのではないだろうか。世界ジオパークのエリアに含まれているのだから、追加編入も決して不可能ではないと思われる。
- 2012/02/23(木) 00:00:01|
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