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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥ノ院」遺跡の環境考古学的研究(ⅩⅥ)

世界遺産条約からみた摩尼寺「奥の院」遺跡

 中橋教授が述べているように、法的な制度をもって摩尼山の保護を図る必要がある。ここでは原点に立ち返るしかない。われわれは文化的景観の研究から出発し、ここまで辿り着いた。摩尼山、あるいは摩尼寺「奥の院」遺跡は、はたして文化的景観としての保全が可能であろうか。この問題については、すでに今城愛[2011]が検討している。その研究を要約しつつ、新たな視点を示してみよう。
 まずは世界遺産条約における「文化的景観」の定義と類型を振り返っておこう。「世界遺産条約履行のための作業指針」第47項によれば、「文化的景観は、文化的資産であって、条約第1条にいう『自然と人間の共同作品』に相当するものである。(後略)」。そして、世界遺産における「文化的景観」は以下の3領域4タイプに分類される。

   A.人間の設計意図の下に創造された景観で、庭園や公園など。
   B.有機的に進化してきた景観
     B-1.残存している(又は「化石化した」)景観
     B-2.継続している景観
   C.(自然要素の強力な宗教などと)関連する景観

 摩尼寺「奥の院」の場合、世界遺産の文化的景観の類型としてふさわしいのは「化石化した景観」であろう。人工的に形成された加工段、礎石、岩陰、岩窟などの遺構が、現在も周辺の豊かな自然地形や植生と複合化して、みごとな「自然と人間の共同作品」が生まれている。世界遺産の類例としてラオスの「ワット・プーと関連古代遺産群」をとりあげておこう。ワット・プーは「山寺」という意味であり、聖地である山の麓に建てられた寺院の遺跡である。化石化(遺跡化)したモニュメントと自然の融合景観だけでなく、いまなお「山」を信仰する人びとが遺跡を巡礼している。「化石化した景観」としての意義だけでなく、「関連する景観」としても意義のある遺跡なのである。
 このように、摩尼寺「奥の院」もまた「信仰」に係わる「関連する文化的景観」と評価することができる。平安時代後期以降、因幡の民の霊魂は極楽に昇天する前に、必ず摩尼寺「奥の院」に一旦滞留すると信じられてきた。山中他界の霊場として認知されており、因幡地域にとって最も重要な「聖なる山」であったし、いまも摩尼山に対する畏敬の念は薄れていない。摩尼山は強い信仰心によって因幡の民衆と結びつき、その「聖なる山」としての性格が地域性をもって継承されてきた。このような性格の世界遺産として、ニュージーランドの世界複合遺産「トンガリロ国立公園」が思い起こされよう。トンガリロ国立公園は世界自然遺産に登録された後、「山」がマオリ族の信仰の対象であることにより「関連する文化的景観」としても評価され、1993年に世界文化遺産に登録され、結果として世界複合遺産になった。物質としての「山」は自然である。しかし、マオリ族や世界中の多くの民族が「山」そのものを神霊もしくは聖域と認識している。そういう認識は「文化」的事象であって、山が「自然」と「文化」の両面から評価される所以である。このあたりの二重の価値は、摩尼山にもそのままあてはまるだろう。


文化財保護法の文化的景観

 上にみたように、世界遺産条約の観点から摩尼寺「奥の院」遺跡を評価すると、文化的景観として高い価値をもつことがあきらかになるのだが、日本の文化財保護法における文化的景観として評価することは可能だろうか。文化財保護法の場合、対象とするのは「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地(後略)」(文化財保護法第2条第1項第5号)であり、摩尼寺「奥の院」のような「信仰」に関わる文化的景観は主な評価の対象となっていないのが現状である。「奥の院」のような遺跡を保護する場合、「史跡」もしくは「名勝」の制度が一般的に適用される。「化石化」とは廃墟と化していることを意味しており、廃墟と化した遺産を人は「遺跡」と呼ぶ。「遺跡」はもちろん「史跡」の一部であるから、世界遺産における「化石化した景観」は文化財保護法における「史跡」の範疇に属し、その制度で保護することが可能なのである。
 一方、「名勝」は、芸術上または観賞上価値の高い景観エリアであり、審美的価値や由緒の評価が重視される。文化的景観で重視するのは歴史的な土地利用の変遷プロセスである。名勝では審美性、文化的景観では歴史性に重きをおくということだが、歴史性と審美性をあわせもつ景観は名勝の保護対象となるだろう。以上みてきたように、世界遺産条約における「文化的景観」は、文化財保護法における「史跡」「名勝」と重複するところが少なくなく、そうした重複性を排除するために、文化財保護法においては「生活」「生業」「風土」が強調されたのであろう。
 日本の場合、「信仰」に係わる文化遺産は「史跡」もしくは「名勝」の対象とされるのが常識的であり、たとえば三徳山の場合、国の「名勝」と「史跡」の両方に指定されている。この先例に倣うならば、摩尼山を名勝、摩尼寺「奥の院」遺跡を史跡として扱えば事足りるかもしれない。しかし、ここではもう少し「文化的景観」制度適用の可能性を探っておきたい。

  1. 2012/02/24(金) 00:00:20|
  2. 史跡|
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